本は紙の束ではない
105円救出作戦 |
よく行く全国チェーンの古本屋がある。大きすぎずちょうどいい規模で、並んでいる本の筋がいい。前に来たときとの書棚の変わり具合を確認し、ゆっくりと店内を歩く。一番の目的はもちろん欲しい本を探すことだが、実はもう1つ心に秘めていることがある。「105円本」の救出作戦だ。
実は、このたぐいの古本屋はどうしても好きになれない。その大きな理由は、大げさに理屈をつけるとすれば、本への冒とく。冷めた言い方をすれば、価値観の違い。それは本を売るとすぐわかる。発行年が古いもの、少しでも傷んでいるものは、二束三文でしか引き取ってくれない。貴重性や中身はまったく関係がない。
だから思い入れのある本や好きな作家のものに「105円」の値段が付いているときには、買い求める。ときには手元にほとんどない自分の本があったりもする。感情を表さず、瞬時に救出する。思わぬ掘り出し物を手に入れ、ほくそ笑むことも結構ある。
先日その古本屋にぶらっと顔を出し、4冊の本を救出した。すべてハードカバーで『猪狩満直全集』、『世阿弥芸術論集』(新潮社)、『小さなやわらかい午後』(椎名誠・本の雑誌社)、『ピーター・パンとウエンディ』(福音館書店・石井桃子訳)。
なかでも『猪狩満直全集』は新品同様で、編集担当の根本正久さんの思いが隅々まで貫かれている778ページ。昭和61年に9600円で発売された。背表紙に張ってある「105円」を見た瞬間、悲しくなってついため息が漏れた。
井上ひさしさんの本が収められている「遅筆堂文庫」を訪ねたときのわくわく感を、いまでもはっきり覚えている。書棚から井上さんの好みやこだわり、交流の広さが伝わってきて、「この本たちこそが井上さんの人生そのものであり、人格だ」と感じた。
本は単なる紙の束ではない。残すべき価値のあるものは、きちんと残して、次の時代に伝えていかなければならない。救出作戦はまだまだ続く。
(安竜 昌弘)
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