184号 助さんのこと(2010.10.31)

画・黒田 征太郎

18年生まれの異才たちに乾杯

 助さんのこと

「助さん」の愛称で親しまれた助川隆一郎さんが逝って3年になる。10月19日が命日だった。「偲ぶ」とは「人を思う」と書くから、かつて杯を傾けた馴染みの酒場のいつもの席で、思い出に浸るのもいいかもしれない。
 助さんは田町の大衆酒場「のんべえ」が好きだった。いつもテレビのすぐ下のカウンターに陣取り、豪快にビールのジョッキを飲み干した。高校野球の監督をやっていたから、夕方の最初の1杯は至福の泡だったのだろう。すぐに出やすい枝豆や冷奴をつまみにしてうまそうにのどでゴクゴクと飲んだ。話題が豊富で実に楽しい酒だった。
 昭和18年(1943)生まれの助さんにとって、9歳年上の石原裕次郎は特別の存在だった。2軒、3軒とはしごをすると必ず地味なカウンターバーへ行き、カラオケで裕次郎を歌った。浜口庫之介がつくった「夜霧よ今夜もありがとう」をリクエストすると、「その曲は訳ありなんで歌えねえんだ」と頑なに拒んだ。いまとなっては、その理由を知ることもできない。
 助さんが逝った日だったか、告別式の日だったか。一緒に飲み歩った酒場をはしごした。そして助さんに代わって裕次郎を歌った。「『わが人生に悔いなし』を歌って」と言われ、うろ覚えで歌った。格好良すぎる歌詞だったが、供養になるような気がした。
 鏡に映るわが顔に/グラスをあげて乾杯を/たったひとつの星をたよりに/はるばる遠くへ来たもんだ/長かろうと短かろうと/わが人生に悔いはない
 あとで知ったことだが、この歌は裕次郎最後のレコーディングだった。作詞・なかにし礼、作曲・加藤登紀子。死期が迫り、肺活量が落ちている裕次郎が曲を聴いて「レコーディングする」と言い、何とか吹き込んだ。テレビ番組で加藤登紀子さんが証言していた。調べてみたら加藤さんも助さんと同じ昭和18年組だ。
 このところ、昭和18年組がいやに気にかかる。自分にとっては10歳年上で、団塊の世代の1つ前の世代。「小説現代新人賞」を受けながら35歳の若さで逝ってしまった佐藤武弘さんも、いわき市好間町出身のカメラマンで、いま国立東京近代美術館で個展が開かれている鈴木清さん(10年前に57歳で死去)も、名曲「プカプカ」のモデルとして知られる、ジャズシンガーの安田南さんも同じ年生まれ。自分勝手な妄想でしかないのだが、この顔ぶれを見ただけで、昭和18年生まれの人たちとの不思議な因縁を感じざるを得ない。それぞれに思い入れがあり、その人生を追いかけてみたい、と思っている人たちばかりだ。
 こんな話を助さんにしたらきっと、少し照れてこう言うだろう。
「お前がそう思うんなら、そうなんだろう。それでいいじゃないか。面倒なことは考えるな。乾杯だ。さあ飲め。ぐぐっといこう」

(安竜 昌弘)

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