めげずに人にアタックし、思いを込めてシャッターを押す
荒木経惟さんの写真 |
夭折の作家・佐藤武弘さんの特集をしたときのことだ。江名で写真を撮っていたら小学生たちが坂を登ってきた。その周辺は佐藤さんが子どものころに遊び回っていたところで、特集の写真にするには絶好の設定だった。少し遠くからカメラを向けて近づいてくるのを待っていたが、子どもたちがなかなかこちらに向かって歩いて来ない。「変だな」と思っていたら「なにを撮ってるんですか? 許可はとってるんですか」ときた。ため息が出た。
このところ、そういうことがわりとある。以前は子どもたちにカメラを向けると、指でピースサインをして「撮って、おれのこと撮って」とカメラに近づいてきたものだが、最近はそうでもない。レンズを向けて明らかに嫌な顔をされたり、難癖をつけられたりすると、こちらも不愉快になるから、自然と自己規制するようになる。「よくないな」と思いながら、どんどん引っ込み思案になっている自分がいる。
先日、NHKBSの「週刊ブックレヴュー」にカメラマンの荒木経惟さんが出ていた。1年前に前立腺がんが見つかったのだという。両親や妻の陽子さんなど、愛する人を亡くすたびにその死を写真に収めてきた荒木さんが、自らの死と向き合うことになった。そうしたなかで、人の顔と雲と切り花を撮ることが多い、と話していた。
荒木さんの写真はセンセーショナルな印象を受けるが、決してそうではない。温かくて優しく、画面の奥に寂しさのようなものがある。その極めつけが『センチメンタルな冬の旅』だ。テレビカメラは、シャイで寂しがり屋の荒木さんを、さりげなく映し出していた。
「気合いで撮るんだ。シャッター音は鼓動。だから大きい方がいい。バシャッと」。荒木さんが言った。自分のことを思う。デジカメなのでシャッター音を消している。そのほうがコンサート取材などで支障がないし、人を撮るときにも、相手を必要以上に意識させないようにできる。「あれ、もう撮ったんですか」と驚かれ、得意になったりもする。規制だらけの世の中に気を遣い過ぎて、いつの間にか縮こまってしまったのだろう。
無縁社会、そして権利だけを主張するクレーム社会。あるカメラマンが話していたが、いまの世の中、苦情を恐れて群衆を撮れないのだという。だから発表する場合には、顔が特定できないようにコンピューターなどでぼかす。これでは、だれもが人の顔を避けて無味乾燥な建物や風景だけを写すようになってしまう。
荒木さんは、決して人から逃げない。そしていまを大事にする。写真集を眺めれば眺めるほど、写す側と写される側との信頼関係が浮かび上がってくる。そしてそのときどきの荒木さんの思いが写真に焼き付けられている。
「自分にブレーキをかけずにアタックし、人を撮る。そして思いを込めてシャッターを押す」。そんな元気を荒木さんからもらった。
(安竜 昌弘)
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