215号 取材を受ける(2012.2.15)

画・黒田 征太郎

お人好しもたいがいにしないと

 取材を受ける

 敬愛する地域紙時代の先輩と平の田町で飲んでいたら、携帯電話の着信に気づいた。脱原発世界会議で知り合ったブラシュケ・ソニヤさんからだった。ソニヤさんはドイツ人女性で、フリーのジャーナリスト。「あす、ドイツのテレビ局が取材のためにいわきに入るので相談に乗ってやっていただけますか」ということだった。
 外国からのメディアということで興味があったし、ドイツは福島第一原発事故のあと脱原発に向けて大きく舵を切った。その背景もじかに聞きたいと思った。「わたしで役に立てるのなら」と返事をした。
 4日、土曜日の夕方、ドイツのクルーがやって来た。レポーターとカメラマン、そして日本人通訳の3人。「一緒に食事をしながら話したい」という。しかも和食の店を探してほしい、との注文つきだ。知っている店を何軒か当たったがどこもいっぱいで思うように探せない。どうしようもなくなって和食系のチェーン店に目星をつけたが、ここもいっぱいで順番待ち。しかたなく待つことにした。
「どうしてこんなに混んでいるんだろう。ひょっとしたら双葉郡からの避難者が関係しているのかもしれない。震災後も原発の工事関係者が夜の街にドッと繰り出して、まちそのものが変容したことがあった」などと説明した。そうしているうちに「震災前と震災後の街の変化」という切り口が頭に浮かんだらしい。「カメラの前で、そのことを話してほしい」ということになった。
 結局、最終的には、酔客で賑わう極寒の田町まで出て、吹きさらしのなかでインタビュー映像を撮られるはめになった。何より悲しかったのは視点が平板で、質問そのものも安易な決め打ちが多かったこと。ニュース番組の取材にしては演出の臭いがぷんぷんしていて、期待通りの答えが返ってこないと「やり直し」が続いた。込み上げてきた戸惑いと怒りをぐっと我慢したが、生来のお人好しがとんだ災いを生んでしまった。ただただ情けなく、落ち込んだ。

 震災や原発事故が起こって、さまざまなジャーナリストが入ってきた。複数のメディアを従えてやってくる学者もいる。そのたびに市民が車を用意し、案内役を買って出る。そのせいかインタビュー対象者が限られてしまい、同じ切り口の記事や映像が氾濫することになる。
 メディアの求めに応じて被災者が被災者をつなぐ。芸能人などのボランティアなどもそうで、前もってマネージャーなどが連絡をよこして段取りを被災地に押しつける。何か変だ。「してやっているんだ」という上から目線を感じる。そもそも主役はだれなのか。慰問とか支援とは何のためのものなのか、それぞれが考えなければならない。
 いわきの人たちも、名前が売れていること、有名であることを妙に勘違いしてサービス精神旺盛に振る舞ってしまう。ミーハーとお人好しとお節介の血がブレンドされて舞い上がり、媚びてしまう。相手を値踏みして、だめな場合は、はっきり「ノー」と言うことが大事なのだ。今回、それを実感した。

 震災のあと、目を見張ったことがあった。被災地で生きる人たちの健気さであり、飾らないシンの強さだった。生まれ育った土地の言葉を堂々と話し、つねに前を見据えていた。それは潮焼けした岩手や宮城の漁師に多かった。と同時に、自分も含めたいわきの人たちのことを思った。
「安易な妥協や中途半端な返事は人間を、社会をだめにする。理不尽なものに対しては筋を通さなければならない」それを胸に刻んだ。しっかりと勉強した。

(安竜 昌弘)

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