217号 組織を守る(2012.3.16)

画・黒田 征太郎

なぜ異形社員は出ないのか

 組織を守る

 世に「3.11から1年」が氾濫している。テレビ、新聞などすべてそうだ。なぜこうも安易で極端なのか、と考えてしまう。
 この1年を振り返ってみると、確かにそうだった。同じようなニュースが波のように押し寄せ、去っていく。「安全です」「がんばろう」「絆」「つながる」…。何か意図的に上澄みの部分だけ流してお茶を濁しているような、そんな印象を受ける。
 一視聴者、読者としては辟易してきたので、このところは当たり障りのないものを見たり、読んだりすることが多くなった。さらに、編集者の1人として足下を見たいと思う。

 NHKBSで、日本サッカーが歩んできた道を見た。その時その時の当事者が、きちんとインタビューに答えている。日本が世界である一線を超えられないのは、経験不足と当たりの弱さ、そしてハートだ、と番組は分析していた。日本だけでやっていると、お行儀の良い、リスクを背負わないサッカーになってしまう。つまり、技術はあるが、それを有効に生かし切れないのだという。「もっと泥臭く、勝ちにこだわれ」ということなのだと思う。納得するところが多かった。
 NHKでアナウンサーをしていた山本浩さんが、女子サッカー「なでしこジャパン」の特性について話していた。「W杯の優勝はチームワークとされているが、それだけではない。それぞれが持っている良い面を伸ばすチームづくりにある」というのだ。確かに、それぞれが世界で通用できる何かを持っている。それをうまく組み合わせて、頂点に立った、ということなのだろう。
 スポーツだけではない。それは組織にも当てはまる。組織というのはどこも、オールマイティーでクセのない人材を揃えたがる。結果、減点主義に陥って平均点の人材が集まり、ミスは少ないが、ホームランを飛ばしたり踏ん張ることができない、当たり障りのない組織になっていく。となると、大勝負がかけにくくなる。要は、どんな人材も使えこなせて、結果につなげることができる指揮官が必要、ということになる。

 日本の社会は組織を守るために、空気を読むことを優先する。徹底的に言い合うことも腹を割ることもなく、落としどころを探っていく。だから大事な部分にはあえてふれずに、根本的な解決を見ないままに進んでいく。防衛、基地問題、原発問題などはその典型だろう。すべてをブラックボックスのなかに押し込んでしまって、見ない、聞かないを決め込んでしまう。原発問題は、あれだけのことが起こったというのに、だれも責任をとらずにしらんぷりを決め込んでいる。それが信じられない。
 被災者は大変な生活を強いられているというのに、原因者である東電や政府の方が相変わらず立場が上、というのも納得がいかない。
 詩人の若松丈太郎さんが福島と他地区の違いに驚き「あの事故をなかったことにして生きているような、そんな感じです。まだ終わっていないですよね。終わっていないです」と話していたが、その思いがよくわかる。

 こうなった以上、東電のなかに、組織を打ち破るような異形社員が出てきても良さそうなものだが、その姿は見えない。結局は、ただ去るのみだ。頭のいい、平均点の優等生を採用して型にはめる、という組織存続の常識が、いまでもきちんと守られているからなのだろう。

(安竜 昌弘)

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