219号 仮の町構想(2012.4.15)

画・黒田 征太郎

浜通りの盟主としての思いやりを

 仮の町構想

 思いもかけない「いわきナショナリズム」に遭遇し、開いた口がふさがらなくなったことが何回かある。その1つは会津人の「いわきには食文化がない」という発言を紙面で紹介したら、怒りの反論が寄せられたこと。「いわきを侮辱されたのになぜ、そのまま紙面に載せる」と言うのだ。正直、あまりに一途な「いわき愛」に辟易した。いま物議を醸している「仮の町」構想(警戒区域に指定された双葉郡の町の集団移転)もそのたぐいのような気がして仕方がない。
 きっかけは、説明なしに突然報道された仮の町構想に対して、渡辺敬夫市長が「国や県、双葉郡の町村から説明がない。われわれの意思を全然聞いていない。市民と避難者の間で感情的なしこりもある。避難者を受け入れたころの状況とは若干変わってきている」と不快感を示したことだった。
 いわき市はいま、約2万3千人の避難者を受け入れている。楢葉町が役場の本部機能を置いているのをはじめ、広野、富岡、大熊、浪江の四町が出張所などを設けている。そうしたなかで仮の町構想が明らかになった。大熊町が復興計画案でいわき市かその周辺に設ける方針を示し、双葉町も「場所は白紙」としながらも設置の方向で検討。浪江町も集団居住区の一つとして、いわき市を視野に入れている、といわれる。
「話を聞いていない」「市民と避難者の間で感情的なしこりもある」。この発言は、記者会見の席で出た。リーダーとしての幅、思慮深さという点でどうかと思い、「何とも了見が狭いリーダー」と、ブログ「いわき日和」で書いたら「市長の怒りは当然。了見が狭いとは思わない」という反論が何件か寄せられた。それが意外だった。

 かつて浜通り地方は「磐前県」という独立した県だった。双葉郡の人たちにとって、いわきは身近な存在であり、双葉郡出身のいわき市民も多い。合併していわきになる前は、久之浜が双葉郡の町だった、ということもある。一部のいわき市民が「感情的なしこり」を持っていて、それがくすぶっているとしても、必ず時間が解決するはずだ。双葉郡の人たちが体験してきたこと、置かれている状況を冷静に考えれば、ここは黙って手を差しのべるべきだと思う。「フクシマ」という言葉を一番体現しているのは、間違いなく双葉郡の人たちなのだ。それを思いやらなければならない。
 原発事故のために町を追われた人たち。津波で瓦礫の下に閉じこめられた仲間をそのままにして、避難せざるを得なかった人もいる。いわきと双葉郡が一緒になって新しい共同体をつくり、国や東電に注文をつけるようなことが、なぜできないのか。いまは、原発震災を逆手にとって、新しい自治の姿をつくり出す気概と浜通りの盟主としての包容力が必要だと思う。
 その後市長は訪れた平野達男復興相に「仮の町の設置期間などの行程表が示されなければ、1つの市の中に別の町が存在するという特殊な状態が続き、復興に向けた市の都市計画を立てることができない。なんとかしてほしい」と要望する一方で、「双葉郡とは歴史的、文化的なつながりがある。構想そのものには協力したい」とも述べている。
 ここは、偏向した「いわき愛」や感情的しこりは心の奥底にしまって、寄り添うべきだと思う。足の引っ張り合いをしているような状況ではない。

(安竜 昌弘)

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。