222号 双葉高校(2012.5.31)

画・黒田 征太郎

原発事故に翻弄されてしまった伝統校

 双葉高校

 春の高校野球いわき地区大会を何試合か見た。優勝したのは湯本だった。特に見栄えがするわけではないが、攻守にまとまっていて穴が少ない。「大崩れしない、計算できるチームだ」と思った。
 湯本には、震災によって1年前に転校してきた選手が8人いる。プログラムの出身中の欄を見ると、浪江、大熊、葛尾など双葉郡の中学校の名前がある。先発メンバー8人のうち5人は、全員が双葉高校からの転校組だ。

 双葉高校。大正12年に創立された旧制中で、校訓は「質実剛健・終始一貫」。栴檀の葉を2枚重ねた校章は「栴檀は双葉より芳し」からとられた。部活動が活発で、野球部は1973、1980、1994年と、甲子園に3回出場している。その深緑を基調にしたユニフォームと素朴で芯の強い戦いぶりは、双葉郡の人たちの誇りでもある。その「双高」が、原発事故によって存続の危機に見舞われているのだ。
 2011年3月11日、金曜日。福島第一原発から3.5km地点にある双葉高校がどんな状態だったのか、想像はつく。双葉郡の各町村から通っている選手たちの身の上も180度変わってしまったに違いない。家族と一緒に避難を重ね、練習を再開するために集まったのは、1カ月と18日後の4月29日だった。その時点で新3年生は3人、2年生は11人が転校していた。それはやむを得ないことだった。
 残った選手たちは、いくつかのサテライト高に通いながら週に1回集まって練習し、10人の3年生を中心に夏の大会に臨んだ。1回戦は好間に14—0とコールド勝ちしたが、2回戦で白河旭に0—1で惜敗した。その秋からは部員不足のために連合チーム「相双福島」に参加したから、単独チームの双葉高校として大会に出場するのは厳しい状況になった。
 ある夏の大会だった。双葉と光南が対戦していた。そのとき、高齢の男性がスタンドの観衆に向かって深々と礼をし、「みなさん、どうか双高の応援よろしくお願いします」と言った。みんなが拍手を送った。
 試合は激しい点の取り合いになり、結局双葉が接戦を制した。その瞬間、男性は再び振り返り、「みなさん、応援ありがとうございました」と言った。球場に双葉の健闘をたたえる大きな拍手がわき上がった。

 原発事故のあと、双葉から湯本に転校した選手たちは、湯本の中心選手として活躍している。1年が経ち、双葉組と湯本組が交ざり合って1つになったように見える。湯本高校は2度の地震で校舎が壊滅的な被害を受けたために、いま仮設校舎で勉強している。校庭に仮設校舎が建ったことでグラウンドが極端に狭くなってしまい、この冬は満足な練習ができなかった。そうした苦難を乗り越えてきたからこそ、チームに少々のことでは動じない強さが生まれたのだろう。県大会では学法福島、只見を下して八強入りし、聖光学院と0—4の戦いをした。
 このチームを「湯本じゃない、双葉だ」という人がいる。「複雑な気持だ」という人もいる。でも、と思う。あれだけのことがあったのだ。家族にとっても子どもたちにとっても、苦渋の選択だったに違いない。ユニフォームがどうであれ、グラウンドに出て、好きな野球ができていることに価値があるし、意味がある。双葉郡の誇りだった双葉高校の野球は、1人ひとりの選手たちのプレーに息づいている。

 この夏、双高野球の面影を求めて球場に足を運ぶつもりだ。ひょっとしたら、スタンドで、あの男性の温かい叱咤激励が聞けるかも知れない。

(安竜 昌弘)

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