

苦しみや悲しみはこれからも続いていく
海を見る人 |
家の前にあった中之作漁民センターが壊され、更地になってから半年近くになる。3.11の津波で建物が被害を受け、コンクリートの土台だけが残っていたが、それもきれいさっぱり取り除かれて砂地になった。
しかし草の力は強く、雑草に混じってハマヒルガオの一種やツキミソウなどが咲き誇っている。あれから、周辺の景色はずいぶん変わった。
その辺りで毎朝、必ず会う男性がいる。「こうちゃん」と言って、2歳年上の幼なじみだ。近所に住んでいるのだが、何をしているのかはよくわからない。すでに還暦を過ぎているから、仕事をしていないのだろうか。それさえも定かではない。
こうちゃんはいつも海を見つめている。そしてため息をついて必ずこう言う。
「いつになったら復興すんのかなぁ。全然進まねえなぁ」
確か、真面目に働いた金をこつこつ貯めて小さな船を手に入れ、よく沖に出ていた。それを何よりの楽しみにしていた。恐らく、震災がこうちゃんのささやかな楽しみを奪ってしまったのだろう。海まわりの地域には、そういう人たちが山ほどいる。
そんな情景に囲まれて暮らしているせいか、ときどき頭のなかで、ある曲が浮かんでは消える。黒人ソウルシンガー、オーティス・レディングの「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」。この曲は、オーティスが死ぬ1週間足らず前に完成したそうで、彼はその大ヒットを知らなかったという。艶と深みのある印象深い声。まだ20代の若さでの死だった。
朝陽を浴びてたたずむ俺/きっと夕暮れ時にもこうしているだろう/船が入ってきては/また海へ出て行くのを眺めている/俺は入り江のドッグに坐り/潮が引いていくのを見つめている/入り江のドッグに坐り/ただぼんやりと時間をつぶしている
こんな歌詞だが、目の前の現実として港につながれている船は、海の放射能が消えないために外洋へは出て行けない。静かに時間をつぶしながら、遠い目をして海を見つめる男たちがいるだけだ。ただ、ぼんやりと。
9月11日。3.11から1年半目の日。この、区切りを数える習慣もだんだんに薄れ、地震や津波の記憶、そしてさまざまな放射能があちこちにまき散らされて存在している、という深刻な現実さえも、時の経過とともに考えないようになるのだろうか。
でも、1人ひとりのさまざまな苦しみは、ずっと続いていく。それを忘れてはならない。まだ何も終わっていない。
(安竜 昌弘)
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