とんかつを食べることが幸せだった
懐かしい味 |
店屋ものを、ごちそうだと思う癖が、なかなか抜けない。だからいまでも外食が好きで、つい高カロリーのものを食べてしまう。その背景には、家が店をしていたので父母ともに忙しかったこと、隣が食堂だったことが大きい。お客さんが来たり、店が忙しくて手が回らないときは必ず、「何かとろう」ということになった。昭和30年代から40年代にかけては、それが最大級のもてなしだった。
食堂は「福仙」。いつも家族そろって忙しく働いていた。評判だったのはラーメンと、かつ丼。いや、ほとんどその2品しか注文しなかったので、勝手に思い込んでいるのかもしれない。あちこち食べ歩いて比較できるような時代ではなかったから、福仙のラーメンとかつ丼が店屋もののベースになった。美化され、懐かしい味として記憶に刻み込まれた。
福仙のラーメンは、実にきれいだった。なると、海苔、ホウレンソウ、しなちく、チャーシューがのっていて、醤油味のスープには、何とも言えないコクがあった。かつ丼は、卵が目玉焼き状態でかつの上にのっていた。いまの時代、ほとんどの店が卵をかき混ぜてからめるから、黄身のかたちが崩れていない福仙風かつ丼と出合うことは、ほとんどない。その後、福仙は鹿島と豊間に分かれて移転したために、店屋ものを注文する機会は、極端に少なくなった。
つい最近、「とんかつを食べる会」という有志の会があることを知った。会長はジャズ喫茶を経営している、古川泰一さん(62)。もう20年も続いているという。目的は、とんかつをおいしく食べること。だから完食が大原則。若いころは大きなものに挑戦しては胃袋の強靱さを自慢しあっていたそうだが、60歳を超える人が増え、事情が変わってきた。
血糖や中性脂肪、コレステロールの値が高い人も出始め、無理せずにおいしく食べることを優先するようになった。「なぜとんかつなんですか」と尋ねると、古川さんは「とんかつってリッチなイメージがあると思わない。ま、とんかつを食べる喜びかな」と答えた。
曰く、「あくまでとんかつかソースかつ丼で、肉はロースが原則。ただ、生活習慣病を持っている人は、脂身のないひれでも、普通のかつ丼でもOK。いまでも月に1回は例会を開いている。肉を叩いて大きくする店、キャベツとご飯がおかわり自由でない店は行かなくなることが多いね」。こだわりが半端ではなく、筋金入りだ。
とんかつは確かに、贅沢品として、幸せのひとつのかたちだった時代があった。古川さんは、そんなささやかな幸福感を持ち続けていたい、という思いがあるのだろう。
「刑事ドラマじゃないけれど、ふたの上に漬物が乗ったかつ丼が運ばれてきて、ふたを取った瞬間においしそうなにおいが漂う。そこで取り調べを受けていた容疑者が、だんな、おれがやりました、と刑事に自供する。その、心が動かされてしまう魅力だよね。容疑者の気持ち、何かわかる。ラーメンじゃないんだよね」
笑いながら、そう言った。
3.11の日、古川さんたちは四倉の海のすぐそばでソースかつ丼を食べていた。食べ終わって15分後に大地震に見舞われ、その店は津波で跡かたもなくなった。幸い、顔なじみの店主は命からがら逃げて助かったが、それを聞いて声も出なかった。店は復活し、間に合わせのバラックの建物で、いまもソースかつ丼を出している。みんなで「できる限り応援したい」と、話し合っている。
わが思い出の、愛すべき福仙は、鹿島の店がずいぶん前にのれんを下ろし、豊間の店も閉店することになった。あのラーメンもかつ丼も、永遠に食べられなくなった。
(安竜 昌弘)
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