235号 好みの幅(2012.12.20)

画・黒田 征太郎

震災以来、受けつけないものが多くなった

 好みの幅

 時間があると、「古今亭志ん朝・大須演芸場」のCDを聴いている。特に「まくら」(落語に入る前の導入部)がいい。奔放で大らかで、まさに自由自在。ときに、「このまま雑談で終わってしまうのかな」と思わせるような、型にはまらない、ずっこけ志ん朝もある。それが何とも嬉しい。ついつい顔の筋肉が緩んで、微笑んでしまう。
「大須演芸場」(250席)は、名古屋の繁華街・大須にある。1962(昭和37)年に木造2階建てとしてつくられ、その3年後から演芸場になった。当時は大須二十館と呼ばれるほど数多くの演芸場があったが、いまは中京地区の寄席といえば、ここだけ。「日本一客の入らない演芸場」と言われながら、何とか寄席の火を点し続けてきた。
 志ん朝は1990年から1999年までの10年間、毎回3日間の独演会を行い、すべて満員御礼を記録した。日ごろは30人も入っていればいい方だった大須演芸場にとっては、願ってもない志ん朝からの助け船だった。

 実は3.11以来、音楽や文章、映画などの好みが、極端に狭くなった。いや、受けつけないものが多くなった、というべきなのかもしれない。それでも、震災後1年は、妙な緊張感があって、自分を無理に走らせているようなところがあった。その反動だろうか。ほとほと疲れてしまったのかもしれない。2年目以降は、精神がわがままになって、限られたものしか接することができなくなった。そうしたなかで救われたのは、映画「男はつらいよ」であり、志ん朝の落語だった。
 来る日も来る日もレンタル屋に寄ってDVDを借り、暇さえあれば「寅さん」に浸った。葛飾柴又や旅先で繰り広げられる、理屈抜きの人と人との営みが、心に滲みたのだろう。権力や世間体とは無縁、というのも、気が楽になっていいのかもしれない。頭を空っぽにしながら、泣き笑いを繰り返した。
 なかでも「寅次郎相合い傘」(浅丘ルリ子)、「夕焼け小焼け」(大地喜和子)、「あじさいの歌」(いしだあゆみ)がお気に入りで、ときには2回も3回も観た。
 もうひとつ、映画版の「20世紀少年」にもはまった。浦沢直樹の漫画を読み込んでいたので観るのを避けていたのだが、思いのほかよかった。特に最終章、ケンジのステージのあとで、ケンジにしがみついて泣きじゃくるカンナの姿を見るたびに、自然と泣けてきて困った。これも3.11と無関係ではない。

 志ん朝は、大須演芸場での「四段目」で、「くれぐれも真面目にお聞きにならないようにお願い申し上げます」と、客にやんわりと釘を刺した。志ん朝の独演会。おそらく理屈っぽい落語通の面々が、手ぐすねを引いて待っていたことだろう。そんな空気を察したのか、林家三平を話のたねに、延々とまくらを振った。そこには「たかが落語ですから、格式張らないで、大いに笑って帰ってください」という思いがあったのだと思う。
「だから何だって言うんだよ」「それからどうしたんだ」なんて言われても困る。落語とはそういうもんなんだから。そういうお客さんが一番怖い。志ん朝は「お客さんは本当に体に悪い」と皮肉りながら、笑わせた。陽の志ん朝の面目躍如、ともいえる高座だった。
 それにしても、志ん朝の落語はやっぱりいい。華やかでリズムがあって、登場人物の個性が際立っている。「黄金餅」にしても「文七元結」にしても「唐茄子屋政談」にしても、江戸の人情や情景が立ち上がってくる。
 ある日、大須賀演芸場をふらりと訪ねた志ん朝は、席亭に「高座に上がらせてもらえるかな」と言って「小言幸兵衛」をかけた。客はほとんどいなかったという。それをきっかけに実現した、名古屋の地での志ん朝の独演会だった。そんなエピソードを胸に聴く志ん朝の大須賀演芸場は、心をさらに温かい気分にさせてくれる。

(安竜 昌弘)

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