238号 まちの価値(2013.1.31)

画・黒田 征太郎

どこにでもある無個性なまちでいいんですか

 まちの価値

 いわき駅前に行くたびに、もの哀しい気持ちになる。ペデストリアンデッキが人と車を分離し、無機質の空間が立ち現れた。いやにひっそりしていて寂しい。まちの名前だった「平」という駅名が、合併した市名を現す「いわき」になったのも、いまだに気にくわないし、しっくり来ない。
 磐城平藩の城下町だった平の市街地は、古い建物が多くしっとりしている。言ってみれば和の空気が漂っていて、路地や雑踏も魅力の1つ。歩いて楽しい、出会いの街なのだ。というのに、駅前再開発のために趣のあった路地が失われ、巨大な商業ビルが建った。そして、「ヤンヤン」の愛称で親しまれていた駅ビルが、草野心平による「平駅」という看板とともに、壊された。
 古い駅ビルがあったころ、新栄堂書店が入っていた。店長は旧知の粥塚伯正さんで、暇さえあれば寄っていた。この書店には、粥塚さんの個性が息づいていた。店は広くないのだが、行くと必ず新しい発見がある。荒木経惟の写真集『東京物語』があったし、『定本草野天平全詩集』も、なぜかちゃんとあった。駅にあるから高校生が多いのだが、粥塚さんが主体的に仕入れた本が並べられている本棚は、若者たちにきちんとした読書の幅、選択肢を示していた。

 東京へ行く用事があると、東京・丸の内の「丸善」に必ず寄る。目当ては文房具のフロアなのだが、書店も一応ひと回りする。そのなかに、自らを編集工学者と称する松岡正剛さんがプロデュースした「松丸本舗」があった。「書店内書店」、本を提案するアドバイザー(コンシェルジュと言うのだそうな)の存在、独特の分類・展示…。面白い試みだとは思ったが、なんとなく居心地がよくなかった。そうしているうちに、店がなくなってしまった。
 開店期間は2009年から2012年までの3年間。松丸本舗が続けられなかった理由は、松岡さん曰く「新しい経営陣から理解が得られなかった」ことだという。
 でも、利用者の1人として言わせてもらえば、「もっとひっそりと、ゆったり本を探したかった」という思いが強い。あの空間に入った途端、背中を押されているような、場持ちの悪い、不思議な感覚に襲われていた。その点文房具売り場は、落ち着いているうえに押しつけがましくなく、じっくりと見て歩けるのでいい。
 いわき市内の書店はいま、大型書店と、DVDとCDレンタル店に併設されている書店があるだけで、街の本屋さんはほとんどない。きれいで新しい本を扱う、中古の大型チェーン店の存在も大きかったのだろう。さらに、ネット販売や週刊誌の品揃えが充実しているコンビニの急増が、小さな書店を街から追いやった。そうした時期と歩調を合わせるように、書店の品揃えが平準化して各店の個性がなくなった。取次店至上主義。それが残念でならない。

 市町村の合併、車社会の到来、日本列島改造論、道路網の整備…。その結果、まちが寂れていった。客は郊外の大型店に車で行くようになり、パパ・ママストアは細々と商いをしてジジ・ババストアになった末に一軒ずつ消えていく。各地区に1つぐらいずつあった、しっとりとした本屋さんも、そうした運命をたどった。いい本屋があることは、まちのステータスだというから、存在そのものの消滅は、まちの崩壊ともいえた。
 全国の駅と歩調を合わせ、画一化されてしまった、まちの玄関口、どこのまちかわからない国道やバイパス沿いの陳腐な風景、そして変わりばえしない書店の本棚。10年前にかけがえのない地元のデパートを失ってしまったこのまちに、震災復興のシンボルとして、地方都市にはどこにでもある、金太郎飴のようなショッピングモールができるという。
 目先だけではなく、自分たちのまちの本当の良さを再確認し、いま残っている良いところを大事にしないと、どこにでもある、わくわくしない面白味のないまちになってしまう。自信と誇りを持って、「いいまちですから、お出かけ下さい」と言えないことほど、悲しいことはない。

(安竜 昌弘)

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