239号 路上の人たち(2013.2.15)

画・黒田 征太郎

無垢なつぶやきが静かに魂を揺さぶる

 路上の人たち

 ひょんなことから、東白川郡塙町出身のラッパー・狐火のライブコンサートを開くことになった。フォーク全盛の70年代に青春時代を送っただけに、ラップとは、ほとんど縁がない。決して毛嫌いしているわけではないが、自然と異次元の世界のこととして、とらえてしまう。それでも、このコンサートを自分たちで主催し、1人でも多くの人に聴いてもらいたいと思ったのは、その言葉の連なりが、好みや世代、しがらみを超えて、まっすぐ心に迫ってくるからだ。素直で無垢なつぶやきが、静かに魂を揺さぶる。

 きっかけは昨年秋の福島県立博物館のシンポジウムだった。テーマは「アートにできること できたこと2012」。パネリストの1人として参加し、震災後に「日々の新聞」が何をどう報道してきたのか、そうしたなかで何を感じたのかを話した。そこに、明らかに自分を場違いだと感じているような、内気そうな青年がいた。それが狐火だった。
 本名は、西野良宣さん。いわき明星大時代にラップを始めた。ラップと言っても、音楽にのせて自作の詩を朗読するポエトリーリーディングで、イメージはBGM付きの詩のボクシング。幼稚園のころから、日々の出来事を日記のようにカセットに録音し、中学からはそれをノートに書くようになった。だから、狐火の詩やステージには、「27才のリアル」「28才のリアル」「29才のリアル」というように、そのときどきのいま、がある。西野良宣という若者の日常から、新聞では報道されない現代社会が透けて見える。

 せいぜい20分ぐらいだったと思う。シンポジウム会場の古い酒蔵で、狐火がマイクを握った。その瞬間に会場の空気が一変した。それはもう、震災のあとに被災者を対象にこんなことをやってきましたとか、こんな手法でアートプロジェクトをやりましたとか、こんな報道をしてきましたとか、そんな人間社会の建前的なことはどうでもよくなり、震災のあとの自分の日々や思いが、それぞれの脳裏に浮かんでは消えた。狐火の日々や思いを追体験しながら、そのやるせなさに共鳴し、引き込まれた。さまざまな共通項が心に響いたのだろう。涙を必死にこらえたが、結局は無駄な抵抗だった。
 狐火は世の中をまっすぐ見る。だから、人間を型にはめようとする決まり事や無機的なものを記号化して、揶揄する。でも大上段に振りかぶって否定するわけではなく、社会で当然のこととして行われていることのおかしさ、矛盾に対しての「なぜ」「わかりません」を積み重ねていく。それが聴くものを魅了する。
 ライブで狐火はぼそっと照れくさそうに「単なる自己満足の世界ですから」と言った。するとコーディネーターを務めた、博物館学芸員の川延安直さんが「震災後、自己満足でこれだけのことをやりきった人がいたでしょうか」と会場に一石を投じた。見事だった。

 先月末から、立て続けに街の小さなライブハウスで加川良、友部正人、2人のフォークシンガーのコンサートを聴いた。聴かせる側も聴く側も同じ床の高さで、仲間同士のようにその場を共有した。ライブは観衆によってステージが微妙に変わってくる。そして、そのとき限りだから、良くても悪くても人生の1ページとして記憶に残る。まさに、生きものなのだろう。
 友部が美しいたたずまいで歌った。「大道芸人は路上をめざすけっして舞台になど上がらない」。加川も友部も四十年にわたって歌い続け、路上の人としての生きざまを貫いてきた。狐火もその背中を追い、路上を原点にする歌い手になってもらいたい、と願っている。

(安竜 昌弘)

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