角田さんに捧げる誓いのバラード
10周年に思う |
狐火のコンサートが行われた9日、安斉重夫、タツ子夫妻が花束を持って現れた。「日々の新聞10周年」の祝いだという。そして「これからもがんばってください」と励まされた。 購読者名簿のNo1が安斉重夫さんで、2人はずっと心強い応援団であり続けてくれている。そして一番新しい読者であるアーサー・ビナードさんのナンバーは1360。その数字は、この10年間で1360人が、1度は新聞を購読してくれたという証明でもある。その1人ひとりは、日々の新聞のかけがえのない財産であり、誇りだ。
名簿を眺めていると、自然に読者の顔が浮かんでくる。No10は「菓子角田屋」。名前の上に「購読中止」を意味するグレーの枠がついている。「永遠のオンブズマン」だった角田信孝さんは2年8カ月前の夏、急死した。それは悲しい出来事だった。
日々の新聞の弱点は営業力。取材をして原稿を書くことはできるが、新聞の部数を増やしたり、広告をとることが思うようにできない。苦手なものだからついつい足を引いて、「武士は食わねど高楊枝」を決め込んでしまう。それではいけないと、空元気を出して、頭を下げに回ったりもする。
ある日、田町のスナックでいわきを代表する菓子店の幹部と会った。「新聞読んでるよ。いいねぇ」と言う。そこで「もしよかったら広告を検討してもらえませんか」とお願いした。すると「わかった。会社に来てみて」と言われた。
数日後、ころあいを見計らって訪ねてみると、いるのだが出てこない。挙げ句の果てに「そんな約束をした覚えはない」と女子事務員を通して言ってきた。お互い酔ってはいなかったとはいえ、酒の席ではあった。これが営業の悲哀というものなのだろう。でも、頭に血がのぼってむかつきが収まらない。そしていつの間にか、角田さんの店に向かっていた。
角田さんは、ことの顛末を聞いた途端、顔を真っ赤にして怒り始めた。そして「いい、おれがその分の広告を出してやる」と言った。見栄っ張りで、人情派の角田さんらしい男気だった。そして「角田屋」の広告は、毎号紙面を賑わすことになる。ありがたかった。
角田さんのモットーは「文化を支えるのはまち」というもので、「本当のことを書くこの新聞がなくなったら、役所が発表したものだけを載せる提灯新聞しか残らない。応援し続ける」が口癖だった。
それでも時には辛口批評があった。
「おい、安竜ちゃんよぉ。このところの新聞、手抜いてねぇか。手間のかかんねぇ講演会でお茶濁しちゃだめだよ」
そのたびに「はっ」とさせられ、背筋がぴんと伸びた。言われたときはむかつくのだが、いちいち思い当たることがあって、反省させられた。升目の中身ではなく、安易に埋めることばかり考えていたのだ。鞭を入れられ、原点に返らせてもらえることが結構あった。
もう10年なのか、まだ10年なのか、よくわからない。1つ言えるのは、1号1号積み上げ、241回新聞を発行したら、10年の歳月がたっていた、ということだ。
できるかどうかはわからないが、群れずに媚びずに揺れず、いつも権力側ではなく、民衆の側に立って物事を考えていきたいと思っている。そうでないと、角田さんの雷が天国から真っ逆さまに落ちる。くわばらくわばら。
(安竜 昌弘)
そのほかの過去の記事はこちらで見られます。