押しつけられた価値観にNOを言おう
だめなものを見分ける力を持たないと…
怪しい、危うい |
ブック・オフでの100円コーナー救出作戦のことを、以前にこの欄で書いた。それは、いまも続いている。その後、目立ったところでは、谷川俊太郎が訳し、堀内誠一がイラストを描いた『マザー・グースのうた』全5集や、江國香織詩集『すみれの花の砂糖づけ』、東君平の『やさしいよかん』などを救い出した。
あのコーナーを眺めていて何が一番つらいかと言ったら、何年か前に買って自分が大切にしている本が、たたき売り同然で棚にあることだろう。その理由が「古い」「きれいじゃない」ということだから、ため息が出る。ブック・オフにとって、古いことや数が少ないことは、価値ではない。きれいで新しい本だけ、定価の半分の値段で棚に並び、少し時間がたつと少しずつ値段が下がっていく。そして最後は、100円コーナーが定位置になる。
実は震災のあと、ブック・オフで本を大量に処分した。棚が倒れて部屋がめちゃめちゃになり、本で身動きがとれなくなった。あの地震と津波のあとだ。「できる限り身軽にしないと」と思った。で、「本はできるだけ持っていたい」というこだわりが、少し弱くなった。整理を始めたら踏ん切りがつき、処分する本の量が段ボール箱にして5つになった。重い大変な思いをして持って行ったら、買い取り金額の提示は840円だった。悲しさを通り越して虚しさだけが残った。
先日、仕事で東京へ行ったついでに『くらしの手帖』編集長・松浦弥太郎さんが経営している古書店「COWBOOKS」(カウブックス)に寄った。決して広くはない。晶文社の植草甚一ものや寺山修司、谷川俊太郎、須賀敦子そして写真集などが大事に置いてある。数はそんなに多くない。でも、その本の良さを見てもらうために、丁寧に置いてある。それはジャズ喫茶で、いまかけているレコードのジャケットを見せるような感じで、とても好ましい空間だった。「松浦流本のセレクトショップなんだな」と感じた。
ブック・オフの例を出すまでもなく、最近よく思うのは、押しつけられた価値観ということだろうか。良い悪いは関係ない。まず話題づくりを先行する。興味をそそって流行にして、主流をつくっていく。そのバックには巨大な広告代理店がいて、コントロールしている。毎日つけっぱなしにしているテレビから流れているもののすべてに、したたかな計算と意図がある。すべてがどこかでつながっていて、社会が動いていく。
「自分は無意識のうちに踊らされている」と考えると、「何とかしなければ」という思いが強くなる。特に安倍政権になったいま、そうした危うさをひしひしと感じて仕方ない。
詩人のアーサー・ビナードさんは「テレビを消しなさい」という。つまり、あの刹那的なテレビの世界にどっぷり浸っていると、その世界が当たり前の世界に思えてきて、正常な感覚が麻痺してくる、というのだ。3.11以降、「まてよ」と疑ってかかる癖がついたはずなのに、ときの経過とともに、平和ボケが蔓延し始めている。何もなかったことになり始めている。それがなんとも不気味だ。
価値観は与えられるものではなく、自分の中で試行錯誤してつくるものだ。自分を鍛えて、だめなものを見分ける力を持つようにならなければ、と思う。長いものに巻かれていたのでは、世の中ますます怪しくなる。1人ひとりが確固たる価値観を持ち、いいものはいい、だめなものはだめ、と言うことがいま、求められている。
(安竜 昌弘)
そのほかの過去の記事はこちらで見られます。