子どもたちに真っ直ぐ伝えていかなければ
伊豆半島へ |
県紙の記者仲間から電話がかかってきた。「震災の語り部をしないか」という。相手は、静岡県賀茂郡西伊豆町の賀茂中学校の生徒たち。「晩秋の伊豆もなかなかいいもんだよ。魚はうまいし、小旅行のつもりでどう」と言う。
「魚か」。海のすぐそばで生まれ育ち、60年も魚中心の食生活を送ってきたというのに、原発事故からこのかた、新鮮な魚を思う存分食べられなくなった。そうなってみて初めて、これまでいかに脂ののったうまい魚を食べていたか、を思い知らされた。それだけに、金目鯛や伊勢エビが頭に浮かんだ。
中学生を相手に話すのもいいな、とも思った。賀茂中学校の全校生徒は60人程度。南海トラフ巨大地震に備えたいのだが、津波などの実感がわかないのだという。震災以来、変われそうで変われない社会や、あいも変わらぬ刹那的なご都合主義に辟易し、柄にもなく「ここは子どもたちに種をまき続けるしかない」と考えていたので、ぐいっと気持ちが動いた。
「わかりました。やりましょう」と返事をしたら、「隣接している賀茂小学校の4、5、6年生にも話してほしいんですが…」という話がついてきた。「小学生か。手強いな」と思いながらも、勢いで受けることにした。
話すのは月曜日。せっかくなので土曜日に前乗りした。学生時代に下田でゼミの合宿をしたことがある。でも断片的な記憶しか残っていない。確か伊豆群発地震が起きていたころで、下田の港あたりで酔っ払って悪ふざけをしたような…。それもあって伊豆半島の先端にある下田へ行き、なまこ壁で有名な松崎町、西伊豆町と回って修善寺経由で帰ってくる旅程を立てた。
常磐線から新幹線に乗り継いで熱海まで行き、下田までは窓が広くて景色がよく見える「スーパービュー踊り子」を利用した。朝6時に家を出てほぼ5時間ちょっとで下田に着いた。下田では、黒船来航、開港の匂いを求めてひたすら歩いた。
クラシックな石畳が小川に沿ってあるペリーロードから下田公園へ。次の日はレンタサイクルで須崎方面まで足を延ばし、ハリスの小径や吉田松陰が密航を企てた場所に立った。伊豆の港は下田をはじめ湾になっているので趣がある。そして楽しみにしていた魚。近海もの、特に金目鯛はこれから寒さとともに脂がのってくるということで、少し淡泊だった。時期が早すぎたらしい。
さて講演会。子どもたちには、小学校と中学校で別の話をした。小学校は津波中心、中学校は地震と津波によって起こった原発事故のこと。さらに1人ひとりの命とは、いかにかけがえがないか、他人に頼らず自分で学んで考え行動すること。そうすれば他人を恨む必要などなくなる、というようなことを話した。
すると「これまでは大人の言うことを聞いて行動すればいいと思っていた。必ずしもそれがすべてではないということを知った。これからはよく学んで自分で判断できる人間になっていきたいと思った」と、自分の言葉で感想を述べた中学生がいた。なにか、うれしかった。
コドモは小さな供なんかではない。
子らのいのちの足の響きを聞こう。
子らはまさに夜明け人間ですな。
むのたけじさんの言葉だ。
(安竜 昌弘)
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