262号 「別品」の国へ(2014.2.2)

画・黒田 征太郎

天野さんは言った。「とにかく原発はやめようよ」。

 「別品」の国へ

 「行くぜ、東北 メールじゃ会えない、レールで会おう」。駅で見かけたJR東日本のポスターに、こう書かれていた。結構気に入っている。敬愛する評論家の川本三郎さんは震災後、「自分にできること」として、時間があればレールで東北を巡った。人が少ない平日、しかもできるだけ在来線に乗って鄙びた町を散策するのが、川本流。気になる駅にふらっと降りて昔ながらの食堂に入り、地のものを肴に軽くビールを飲む。その、さりげない優しさがうれしいし、ありがたい。
 実は、いわき市も首都圏をターゲットに観光プロジェクトを展開している。そのキャッチフレーズは「ハダカのおもてなしカモン!いわき市」。評判のほどは定かでないが、わが周辺に限っては、きわめて不評だ。「おもてなし」という言葉そのものが陳腐で、東京五輪誘致のときの滝川クリステルのスピーチを思い出してしまうし、何より「ハダカ」に違和感を覚える。「ハワイアンズと二人三脚でいわきに観光客を呼び込む」というやり方も気にくわない。もうハワイアンズに乗っかるのは、いいのではないか。どう見てもやり過ぎだろう。それもあって、昨年10月に亡くなったコラムニストの天野祐吉さんなら、このCMをどう揶揄するんだろう、などと考える。

 最近、『天野祐吉のCM天気図傑作選』を読んだ。この本には、朝日新聞に20年にわたって書き続けたコラムの選りすぐりが、収められている。「CMから世相を皮肉る」といった手法だが、その軽妙洒脱で機知に富んだ文章は、読み手を唸らせる。特に3.11以降は変われそうで変わることができない社会に対して、軽いため息をつきながらも神髄をついている。ふだんは変化球中心の軟投派が、ここぞとばかりに切れのいい速球で勝負しているような、小気味よさがある。
 こんな文章がある。
 「世界で1位とか2位とか、何かにつけてそんな順位を競い合う野暮な国よりも、戦争も原発もない『別品』の国がいいし、この国にはそれだけの社会的・文化的資産もある」
 これは亡くなる11日前の新聞に掲載された。「『別品』の国へ」というタイトルがついている。むかし中国では、品評会の順位を1等、2等でなく1品、2品と呼び、その審査の物差しでは計れないが、優れて特に個性的なものを「別品」と呼んで評価したのだという。
 「別品。いいねえ」。別品は別嬪につながる。「べっぴん」という音が天野さんの遊び心に触れたのだろう。あのニヒルな目元と恥じらいのある口元を思い出して、ついニッコリしてしまう。
 「いい加減にしなさい。野暮はヤだね。とにかく原発はやめようよ」と天野さんは言った。そして「脱原発のために『頑張ろう』と言う人よりも、原発再稼働を強引に進めようとする人たちに『負けるもんか』と言う人のほうが、ぼくはなぜか一緒にのみたくなっちゃうんだよね」とつぶやいてみたりする。
 CMというはしっこの窓から社会や政治にもの申す。それは天野祐吉ならではの世界観だった。「からだで感じ、からだで考えることのなくなっていく世の中を、ただ指をくわえて見ているのは、いいかげんにしなくちゃ」。天野さんの言葉は、いまもしっかりと生きている。 

(安竜 昌弘)

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。