

プリントする価値のある本を探せ
収集と整理 |
震災で本棚が倒れ、本が散乱して途方に暮れたことを、いまもときどき思い出す。確か2日ぐらいかけて整理した。頭が混乱していたから、夢中になってすることが必要だったのだろう。それこそ、寝食を忘れるほど、片づけに没頭した。そのあと原発の爆発騒ぎがあり、それどころではなくなった。
少し落ち着いてから、本を持つ意味を考えるようになった。そもそも収集癖があるので、系統立てて本を集めることに美学を感じてしまう。自己満足なのはわかっているのだが、自分好みの本棚にして悦に入るタイプで、決して読書家とは言えない。そこに本があればいいのだ。それが震災のあと、少し変わった。持つものと持たないものを、入り分けられるようになった。
意外だったのだが、駆け出し記者時代に買ったノンフィクション関係の本が、かなりお払い箱になった。自分も日々取材していまを伝える仕事をしている。現象面だけではなく事象の裏にあるものを粘り強く追い、真実に迫りたいと思っている。処分した本も確か、バイブルになり得る、と思って求めたはずだった。しかし時間が輝きを失わせてしまったのか、もう響かない。そういう本が多かった。
曲がりなりにも40年近く新聞記者をやってきて経験を積み、最初に読んだときの新鮮さが失せてしまったのかもしれない。どんなに時代のほこりを被っても渋い光を放つ普遍的な本こそが、残っていくのだと思う。
数年前、市民ジャーナリスト講座の講師に呼ばれたことがある。「ほとんどが素人なのでイロハから話してください」と言われた。そこで情報を流すことの責任、という話をした。
ネット社会になって、簡単に情報を発信できるようになった。しかし氾濫しているのは、匿名による間接的な情報ばかり。無責任な情報で混乱させ、しかも出所がはっきりしない。「せめてここにいる人たちは情報を確認したうえで発信してください」と言った。
かつてニューヨークタイムスの標語に「プリント(印刷)するのにふさわしいニュースのすべてを」というのがあった。報道を「プレス」とも言う。プレスとは印刷機のことで、「フリーダム・オブ・プレス」とは出版の自由のことだ。
でもいま、プリントするに及ばない出版物がどれだけ氾濫していることか。売れるか売れないかを重視して、当たり障りのない興味をそそるものだけがプリントされていく。逆に差し障りのあるものはバッシングを受けて「出版の自由」が脅かされていく。危ういと思う。
この3年の間に本棚はずいぶん整理され、本もむやみに衝動買いしなくなった。じっくりとプリントする価値があると思える美しい本を見極めている。
(安竜 昌弘)
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