276号 同期会(2014.8.31)

画・黒田 征太郎

団塊と新人類にはさまれた遅れてきた世代

 同期会

 高校の同期会に出た。17年前に1度あったが、そのときはすっぽかしてしまったので、卒業以来、約40年ぶりの再会、というクラスメイトも結構いた。このたぐいの集まりは、そもそも気が進まない。でも出れば出たで、それなりに楽しかった。
 高校時代。三里塚闘争はあったが学生運動は山を越え、退廃的な空気が漂っていた。ラジオの深夜放送からは吉田拓郎や加川良のフォークソングが流れていた。三島由紀夫が自決し、あさま山荘事件が起こった。
 学帽がまだ健在で、黒の革鞄に革靴というスタイルが一般的だった。多くの男子生徒は髪を長くして、フォークギターを手にした。学帽の自由化が叫ばれ、制服から帽子が消えた。何かが終わって何かが始まる、そんな時代だった。
 会いたい友人がいた。おそらく身長は140cmぐらいだろう。際立って小さかったが卓球部に所属し、マラソンではいつも上位に入る頑張り屋だった。心のなかには身体的コンプレックスが渦巻いていたと思う。でも、そんなそぶりを見せようとはしなかった。
 会場を見渡すとすぐわかった。あいさつを交わし、あのころのようにふざけあった。そして誘い合って3人で2次会に繰り出した。 
 思えば、高校を卒業してからどうしたのか、まったく知らなかった。風の便りでいわきの企業にいることは知っていたが、それだけだった。酒が深まるとともに、友だちの独白が始まった。
 1年浪人して神奈川県にある大学の工学部に進んだ。首都圏で働いたあと長男なので帰郷し、バルブ製造会社に入り直した。しかし55歳のときに役職をすべて解かれ、嘱託扱いになった。悔しかったのだろう。恨み辛みが口をついて出た。
 中学に入ったとき、100cmしかない体に合う既製品の学生服はなかった。父母は洋服店に寸法を測ってもらって、特別に仕立てた。「そのときの思いは一生忘れない。ただ父母に感謝した。ありがたかった」と何回も繰り返した。その一途で複雑な思いを、ひたすら聞き続けた。そしてしたたかに酔った。 
 あらためて自分たちが生きてきた60年を思う。団塊の世代と新人類に挟まれた遅れてきた世代。社会的には「無気力・無関心・無責任の三無主義」とか「しらけ世代」と揶揄された。ノンポリ、個人優先主義、モラトリアムとも言われる。
「気ままで平和でいいじゃないの」と特に意に介していないが、「安倍晋三首相と同じ世代ですね」と言われることだけは、正直抵抗感がある。

(安竜 昌弘)

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