278号 らしくあれ(2014.9.30)

画・黒田 征太郎

権力に媚びず立ち向かう勇気失わないで

 らしくあれ

 震災以降、取材を受けることが多くなった。相手の質問を待って、答える。鋭い問いにたじたじとなることがあれば、うまく聞いてもらえないこともある。そんなとき「自分の取材はどうなんだろう」と、足もとを見る。
 もれなく尋ねられるのが「なぜ前にいた新聞社を辞めたんですか」ということ。「なんだか窮屈になってしまって…」と答えるようにしているが、「どういうところが」と必ず追い打ちをかけてくる。「ま、社の方針と合わず、自由に新聞がつくれなくなったということです」というあたりで、なんとか収まる。
「窮屈」をかみ砕いて言えば「報道部門が総務・営業部門にかなり浸食された」ということだろうか。ちいさな日刊の夕刊紙。いつまでも平和でいられるはずはない。当然会社を維持・発展させなければならない。そこで創刊の志を大事にしたい報道と経営重視の現実路線がぶつかることになる。よくある話だ。それだけならいいのだが、自由闊達な精神を誇りとしている記者たちが管理至上主義に傾き始めると、目も当てられない。会社はもちろん、商品である新聞そのものも縮こまってしまった。

 ずっと、朝日新聞問題を考えている。そして、朝日自体が手足を縛られ、縮こまってしまうことを恐れる。これについて読売新聞で論説委員を務めた前澤猛さんが、ワシントン・ポスト紙の「クック捏造報道事件」(1981年)を引き合いに出して書いている。
「朝日新聞の今回の過誤は、朝日1社にのみ起きうることではありません。自社の過誤に対するあいまいな事実究明と責任回避は、他社でもしばしばみられます。そうした、閉鎖的な日本のメディア状況を見るとき、30年も前に、アメリカのワシントン・ポスト紙が『クック捏造報道事件』で見せた公明正大な処理に、改めて強い関心を持たざるを得ません」
 ポスト紙は1980年の9月、クック記者による「8歳のヘロイン中毒少年のルポ『ジミーの世界』」を載せ、ピュリツァー賞を受賞した。ところが、この記事に捏造疑惑が浮上した。すぐ外部のオンブズマンのビル・グリーン(デューク大学教授)に調査権限を与え、わずか3日後に詳細なレポートを掲載した。報道にかかわった社内関係者の言動を、名前と写真を入れてすべて載せるという徹底ぶりで、まさに再現ルポ。この取り組みによって、ポスト紙の評価は逆に高まった。

 心なしか、朝日の紙面が沈んでいる。手足が縮こまっているのか、躍動感がない。もし朝日包囲網のなかで自主規制し、当たり障りのない記事を並べているとしたら、それほど読者をばかにしている話はない。朝日は朝日らしくあれ。誤りをきちんと正したうえで、権力に立ち向かっていく姿勢を失ってはならない。

(安竜 昌弘)

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