282号 18日のテレビ(2014.11.30)

画・黒田 征太郎

健さんの死とアベノミクス解散が交錯した日

 18日のテレビ

 高倉健さんが10日、83歳で逝った。その死が公になった18日は安倍首相が衆議院の解散を発表した日だったのだが、報道ステーション(テレビ朝日)などではトップニュースを「解散総選挙」ではなく、健さんの死にした。安倍首相はこの日、自らの考えを述べるために各局のニュース番組をはしごしたというのに、古舘伊知郎さんがキャスターを務めるこの番組には、出演しなかった。
 さまざまな「なぜ」がわき上がってきた18日だった。「健さん死す」の発表が8日遅れたこと、安倍政権に批判的で原発・放射能問題を積極的に扱っている報道ステーションに、安倍さんが出なかったこと、各局で厳しい問いかけがなされたときの、安倍さんの異常ともいえる焦り、苛立ち…。インターネットでは「実はこうだった」という、まことしやかな情報が飛び交ったが、真偽のほどは定かではない。結局は知る人ぞ知る、ということなのだろう。

 映画は思い出とつながっている。健さんといえば、不条理な仕打ちに耐え、復讐を果たす着流しのアウトローを演じた「昭和残侠伝」シリーズなのだろうが、当時は中学、高校生だったこともあって、やくざ映画の健さんの印象は薄い。
 リアルタイムで初めて観たのは「新幹線大爆破」(佐藤純彌監督・1975年)だった。場所は西武池袋線沿線の江古田文化劇場。だるまストーブがある古い映画館で、そのときの情景はいまもはっきりと覚えている。
 高度経済成長の波にのまれて潰れてしまった町工場の経営者が、時代の象徴ともいえる新幹線に、自ら考案し日の目を見なかったシステムを使って爆弾をしかける。健さんは経営者である主人公に時代の悲哀を投影し、単なるパニック・サスペンス映画ではない人間ドラマとしての演技をした。この映画館も1984(昭和59)年に閉館してしまった。
 生前、「205本出た映画の大部分が前科者の役ですから」と語っていた健さん。確かに、社会の底辺で名もなくひっそりと生きる、孤独で静かな男の役が多かった。「冬の華」「居酒屋兆治」「夜叉」「遙かなる山の呼び声」「ホタル」…。思い出のシーンが次々とよみがえってくる。
 これほどまでに多くの人たちが健さんの死を悼むのは、生きざまと役柄によってつくられた「高倉健の男の肖像」が、ふつうの社会ではめったにお目にかかることができない、あこがれの存在だったからなのだと思う。 
 さて安倍さん。「政治とカネ」の話題に動揺して目くじらを立て、「アベノミクスで恩恵を受けている気がしない」という庶民の声に「テレビ局が意図的に選んでいるんでしょうから」とカメラの前でいらついた。18日は健さんの男らしい横顔や魅力的な照れ笑いが、これでもかというほどテレビに映し出されただけに、安倍さんのオレ様、おたおたぶりが、いつもに増して目に余った。
 さあ、選挙だ。

(安竜 昌弘)

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。