

あれやこれやと余計なことを考え決められない…
ラスト・ソング |
渡邉新二君の棺はワーグナーの「ワルキューレの騎行」に送られて旅立った。別れを告げる長いクラクションが、いまも耳の奥に残っている。
火葬、通夜、告別式に立ち合って思い知らされたのは、「身近な存在だったはずなのに、知らないことだらけ」ということだった。斎場には若き日の写真が飾られ、ワーグナーのCDや使い古されたオックスフォード英英辞典が置かれていた。長髪でくつろぎ、仲間とテニスをする学生時代の写真に自分のあのころが重なって、深い感慨が襲っては遠ざかった。
「亡くなる間際までワーグナーをかけていた」と家族から教えてもらって以来、ショルティやベーム、カラヤンのワーグナーを聴いている。颯爽としていて精神を高揚させる勇壮な曲が多いのだが、重厚で暗澹たる気分にさせるものもある。「ワルキューレの騎行」はベトナム戦争を題材にした「地獄の黙示録」(フランシス・コッポラ監督)に使われた。
「ワルキューレ」とは天馬にまたがった女性たち。戦場の死者から英雄だけを選り分け、天上にいる神の王の元へ運んでいく役目を負っている。命を奪い合うものたちの狂気が見え隠れして、魔界を魂がさまようような不気味さがある。
新二君はドイツに留学していたから、ワーグナーの音楽に対しては深い理解や思いがあったのだろうが、その理由を聞けないまま逝かれてしまった。思えば、音楽もスポーツも興味がないと勝手に思い込み、話題にすることすらしなかった。慚愧にたえない。
演出家で作家だった久世光彦に『マイ・ラスト・ソング』というシリーズがある。「あなたは末期の刻に何を聴きたいですか」と問いかける随筆集だ。14年にわたって雑誌『諸君!』に連載され、単行本が5冊出ている。そのなかで久世さんは、ちあきなおみの「さだめ川」やワーグナーのアリア「イゾルデの愛と死」などを出しながら「だいたい、1曲だけというのが無理な注文なのだ」と書いている。
「終活」というほど大げさでなくても、せめて自分らしい写真を用意し、送ってもらう音楽ぐらいはだれかに伝えておきたいと思う。交流があった画家の若松光一郎さんは花輪や読経を自ら辞し、シンプルな白いバラとカザルスの「鳥の歌」で送られた。先輩記者は、すぎもとまさとの「吾亦紅」だった。
さて自分はどうだろう。ビートルズの「レット・イット・ビー」、ボブ・ディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」、ディランⅡの「サーカスにはピエロが」、ビル・エヴァンスの「ダニー・ボーイ」…。久世さんと同じで、あれやこれやと余計なことを考えてしまって、やっぱり決められない。
(安竜 昌弘)
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