290号 映画「地方記者」(2015.3.31)

画・黒田 征太郎

四倉や平でロケそこに35年前のいわきがある

 映画「地方記者」

 来年は、いわき市政施行50周年だという。清水敏男市長と試写会で会ったら、「記念事業としていわきでロケした映画の大上映会もいいですね」と話していた。同感だ。
 ロケ映画を思い浮かべてみる。古い方から「浮草日記」「船方さんよ」「地方記者」「原子力戦争」「ロケーション」「フラガール」…。まだまだ、たくさんある。
 個人的に思い入れがあるのは撮影を見学した「地方記者」と「原子力戦争」。ともに、いわきの港町の風景がふんだんに出てくる。先日、川本三郎さんに「『地方記者』を見る手立てがなくて。残念です」と話したら、すぐ送ってくれた。ありがたかった。
 公開が昭和37年だから9歳のとき。市町村合併をする前の話だ。「映画のロケをしている」と聞いて、野次馬の1人になったのだと思う。それは、新人記者の夏木陽介が先輩のフランキー堺に下宿を案内してもらっているシーンだった。
 昭和52年に地域紙の記者になった身としては、共感を覚えるところが多い。写真を現像して電送機で送る通信局長夫人の白川由美の姿を見て、「確かに、あれは奥さんの仕事だった」と思い出した。
 記者になりたてのころは、すべてが勉強だった。新聞を全紙読み、電話を受ける。筆記具は4Bの鉛筆で、原稿用紙は13字3行。小さな予告記事を書くのだがどう書いていいのかわからないので、原稿が赤ペンだらけになった。
 携帯電話もパソコンもなく、移動は「カラス号」と呼ばれる黒い原付バイク。少し経ってポケットベルを持たされたときはさすがに、窮屈な感じがした。「自由な記者」から「管理される記者」へ向かって進んで行く、狭間のころの話だ。
「地方記者」は地方の悲哀を鋭く描いている。誘致した工場から出た排水で魚が大量に浮き、漁民が大騒ぎする。本社から多くの応援記者が駆けつけるのだが、地元記者とは思いがすれ違う。そこでフランキー堺が言う。「おれはこの町で暮らして記事を書いている地方記者だ。みんなの思いを大切にしたい」。
 なんのための、だれのための記事なのか。スクープ至上主義で、事態が落ち着けば東京に引き揚げてしまうエリート記者への、意地の一撃といえた。
四倉や中之作、平…。映像に映し出される53年前のいわき。ありし日の平公会堂と新川の柳が、古き良き時代を運んでくれる。

(安竜 昌弘)

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