まず行動する土地の空気にふれ時代の風を感じる
先祖探し |
年を重ねてくるともに「安竜」という不思議で珍しい姓について考えることが多くなった。家の近くに地名があるから、土着なのは間違いないのだろうが、古い時代から言い伝えられている口伝があるから紛らわしい。しかもそれを証明する文献も証拠も残っていない。ときどき、「いつからここに住んでいるんだろう」と思ったりする。
先日、札幌在住のジャーナリスト、外岡秀俊さんの「先祖探しの旅」にお伴した。外岡さんの母方の曾祖父は会津出身で、白虎隊足軽隊に所属していた。きちんと名簿に名前が載っていて、「安久原茂」という。戊辰戦争のあと、どういう経過をたどって北海道に渡ったのかが、よくわからない。その手がかりを探すために、兄の学さんと会津にやって来た。2人を歓迎するように桜が爛漫と咲き誇っていた。
最近まで会津と関係があることを知らなかったそうだが「八重の桜」を見ていたお母さんが「先祖は会津の出」と言ったことで、「安久原茂」の名前が浮上してきた。言い伝えでは函館戦争に参加していることになっているが、定かではない。有効な手がかりとしては、北海道に安久原茂に対する聞き書きの記録が一枚残っていて、「父は安久原源八。10石5斗二人扶持で、明治14年に白老に移住した」となっている。
ピースが足りないジグソーパズルを探して、組み立てていくような作業。残念ながら、今回の会津の旅で決定打になる情報は得られなかった。白虎隊足軽隊の研究をしている人がほとんどいないので、調査が思うように深まらないのだ。
ただ、鶴ヶ城をはじめ日新館や飯盛山、白虎隊記念館などを訪ねて歴史を物語る資料などにふれ、その時代が立ち上がってくる感覚を持った。先祖が暮らしていた会津の地を初めて訪れた外岡さん兄弟は、なおさらだったと思う。会津は先祖探しの旅人が多いという。
夜、「籠太」という評判の居酒屋に行った。店主が話し好きで会話が弾み、珍しい酒を冷やのもっきりで飲んだ。酒は確かにうまく、四方山話も楽しかったのでメーターもテンションも上がった。次の日は宿酔。飲み過ぎた。昼は辛み大根おろしそばを食べて胃を休めた。
さて次は自分探し。「昔一緒に住み着いた」と言われる4つの家があって、そのうちの1つは和歌山県の串本あたりに駅名がある。外岡さん兄弟に触発され、行動することがいかに大事かを思い知ったので、先祖探し作業に少し巻きを入れたいと思う。
(安竜 昌弘)
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