294号 今和次郎(2015.5.31)

画・黒田 征太郎

いつでもどこでもジャンパーを着続けた「考現学」の創始者

 今和次郎

「これぐらい自由になれたら」と思う。今和次郎。明治から昭和にかけて生きた、好奇心旺盛な自由人で、「考現学」の創始者として知られている。関東大震災をきっかけに、どこへ行くのにもジャンパーと開襟シャツ、ズック靴、帽子姿で通し、持っているのは愛用のバッグだけ。いつどこでも、だれと会うときでも、それを貫いた。
 無理に肩書きをつけるとすれば、学者であり研究者だろうか。でも、枠にはまることを、よしとしなかった。町、特に庶民のくらしに興味を持ち、片っ端からスケッチして記録をとった。関東大震災で焼け野原になった東京に次々と建てられた仮設のバラック。和次郎は仲間と「バラック装飾社」を立ち上げ、店舗などの壁面にペンキでデザインを施す試みをした。
 このとき35歳。東京美術学校の図按科(いまの東京芸大デザイン科)で学んだからこそ、こんな発想もできるのだろうが、することが痛快でおもしろい。震災後は都市風俗の変化に着目し、人々の生活を採集(観察・記録)した。そのなかには「銀座カフェー服装採集」や「井の頭公園における自殺者の死に場所と自殺方法の記録」などがあり、視点がユニークだ。そうした観察者としての活動が「考現学」や「生活学」として、かたちになっていく。

 和次郎が弘前出身であることから、青森県立美術館に棟方志功や奈良美智などと同じように独立した展示スペースがある。それに釘付けになり、すぐ『考現学入門』(ちくま文庫)や『ジャンパーを着て40年』(文化服装学院出版局)、河出書房新社のムック本『今和次郎と考現学』などを注文して読んでいる。
 服装の歴史やあり方、生活との関連に人一倍興味を持っていた和次郎には、信念にもとづいた、思想ともいえる自分のスタイルがあった。だから講演でも冠婚葬祭でも宮様のお招きでも国際的なパーティーでも、ジャンパーで通した。
「世の中とのまさつは感じませんか」と問われ、「もちろんそれはある。しかしそういうときは、私にとって服装というもの、エチケットというものを哲学する機会だった」と言っている。そして習俗や作法の成り立ちなどを、徹底的に調べ上げた。それは自らのスタイルを貫くための理論武装であり、やんちゃな社会実験だったのかもしれない。
「人間の欲望は世の中の習俗とからみついて、いくらでも膨れあがる。習俗の圏外に暮らしている私には、じぶんなりに魔物である習俗を分析せずにおれなくなる」。和次郎の言葉だ。
 いま和次郎が生きていたら、「空気を読め」でも「TPOをわきまえろ」でもなく、「空気の正体を徹底して調べろ」「TPOとはそもそもなんだ」と言ったのではないか。本質を見なければ、と思う。

(安竜 昌弘)

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