296号 むのさんの言葉(2015.6.30)

画・黒田 征太郎

外圧に左右され主体がふわふわそれが戦後の日本

 むのさんの言葉

 いつも見えるところに置いてある色紙がある。そこには黒いマジックで力強く「開拓魂」と書かれている。100歳のジャーナリスト、むのたけじさんが送ってくれた。それを見るたびに「自らを鮮明にせよ。そして、大地にしっかりと足をつけて、道なき道を進め」と励まされているような気になり、闘志がわいてくる。
 
 安全保障関連法案をめぐる国会審議が、山場を迎えている。安倍政権は「説明不足」「憲法違反」との批判をかわすために国会を3カ月延長し、法案成立のための時間稼ぎをした。首相は「国際情勢に目をつぶって、従来の(憲法)解釈に固執するのは、政治家としての責任放棄だ」と野党を批判し、「いまは現実路線を歩まないともたない。そのための安保法制」と訴えている。
 正直、うさんくさい。なぜこれほどまでかたくなに、変えようとするのか。いまのままで、柔軟に対応することもできるはずだ。やり方が姑息で気にくわない。
 どうしても変える必要があるなら、正々堂々と憲法改正の手続きをとるべきだ。安倍首相の答弁も傲慢なうえに独りよがりで、議論して理解してもらう、という真摯な姿勢が見えない。だから国民はどんどん、疑心暗鬼になっていく。揚げ足とり合戦から罵倒合戦への展開も大人気なくて、見るにたえない。

 いま、むのさんは積極的に社会に出て、若者たちと対話を続けている。自らが新聞記者として戦争の渦中にいたとき、人間の本質を目の当たりにした。「殺さなければ殺される。戦争とはそういうもの。戦争は人間を畜生にする」。これがむのさんの実感だった。体験をもとに考え、自らの思いを言葉で熱く伝える。むのさんの姿勢、生き方は戦後70年、ずっと一貫している。
 1994年(平成6)、戦後50年の前の年に、むのさんは、こう書いた。
 「1995年は戦後50年だ、と政府をはじめ諸方面でいろいろ企画を進めているようですが、気を許せない。謙虚に歴史を学ぶのではなく、あれから50年もたったのだから、この際『戦争』も『戦後』も思い出したくない過去として供養しようとする、そんな線香のにおいがぷんぷんする。そんなたくらみをのさばらせたら、同質のあやまちを同じ手順で、しかも悲劇を拡大して再現することになる。その道は断じて許すわけにはいかない」
 むのさんは戦後の日本を「外圧に左右されやすく、主体はふわふわする」とも言い、その原因は「敗戦時、戦争というものを根源から裁く作業に直ちに着手すべきだったのに、それをやらなかったこと」だと、断じる。
 生きざまがまぶしい。

(安竜 昌弘)

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