338号 その場限り(2017.3.31)

画・黒田 征太郎

連合赤軍を演じた若者たちのひたむきさに涙

 その場限り

 舞台版「実録・連合赤軍あさま山荘への道程(みち)」を見てきた。新宿3丁目のSPACE雑遊。原田芳雄が書いたという看板を目印に狭い階段を降りていく。80人も入ればいっぱいになってしまう、小さな劇場。そこで、アジトでの惨劇やあさま山荘内部のやりとりが再現される。休みなしのぶっ通し2時間。それが長く感じられないほど、緊張感にあふれていた。あらためて「舞台というのは、その場限りの一期一会。ライブなんだ」ということを実感した。

 故若松孝二さんがメガホンを執った同名映画の舞台化なのだが、正直なところ、延々と続く血の粛清シーンが蘇ってきて、気が進まなかった。若松さんの映画には、目をそらしたくなるようなリアル感があり、「どんな舞台を見せられるのだろう」という不安があった。理屈っぽくて退屈な舞台の姿が浮かんで、頭から離れないのだ。
 でもそんな思いは、最初のシーンであっさりと打ち消された。観衆の目を釘付けにさせる、圧倒的な幕開けだった。
 台本と演出はシライケイタさん(42)。蜷川幸雄演出の「ロミオとジュリエット」で役者デビューし、演出も手がけるようになった若手の注目株で、オーディションで出演者を決めた。240人のなかから選ばれた、ほとんど無名の20人。演出家も含め、全員が連合赤軍事件のあとに生まれた世代だ。45年前に革命をめざした過激な若者たちを、現代の若者が年齢という唯一の共通項を拠り所に、悩みながら思いをぶつける。そのひたむきさが、いい空気を生み出していたのかもしれない。 
 シライ演出は、メリハリが効いていてテンポがいい。学生運動や事件の複雑な背景を、出演者によるナレーションと場面や台詞でかみ砕き、青春群像という調味料をふりかける。死人が出るたびにマッチでろうそくを点し、映画にはなかった幻想シーンも組み入れた。
 遠山美枝子が死んだシーンではレバノンにいるはずの友人、重信房子が現れて会話する。バックにはけだるい浜田真理子の「アカシアの雨がやむとき」が流れ、「ふー(重信房子の愛称)、わたしの方が早く死んじゃったね」という台詞に、会場の若者たちが涙した。この舞台は日を追うごとに評判を呼び、終日近くには満員札止めの回が続いた。
 あれから何日も経っているのに、舞台のことが頭から離れず、場面場面が浮かんでは消える。これは何なのか。一つは狭い空間での臨場感であり、観衆が天空から若者たちを見守るような演出の巧みさなのだろう。そして役者たちの、手抜きのない一途さに心を揺り動かされたのだと思う。「いわきでも公演してもらえたら」と願っているのだが、いまのところ再演も巡回公演の予定もない。

(安竜 昌弘)

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