

いまと6年前現世と彼岸を繋いでくれる2つの詩
夕焼けについて |
フォーク者・イサジ式からCDが送られてきた。曲名は「夕焼け売り」。原詩は、いわき在住の齋藤貢さんで、震災と原発事故で人がいなくなってしまった町をテーマにしている。情景が浮かぶ詩の世界観がイサジさんに合うのだろう。詩とメロディがしっくりくる。こんな詩だ。
この町では/もう、夕焼けを/眺めるひとは、いなくなってしまった。
それからしばらくして、夕方になると、人がいないというのに夕焼け売りが現れるようになる。夕焼け売りは、奪われた時間を行商して歩いていて、「夕焼けは、いらんかね」という声がすると、だれもいないはずの家の煙突から、夕餉の煙が漂ってくる。そしてこう締めくくられる。
夕焼け売りの声を聞きながら/ひとは、あの日の悲しみを食卓に並べ始める。/あの日、皆で囲むはずだった/賑やかな夕餉を、これから迎えるために。
齋藤さんには「夕焼けについて」という作品もある。
弔いの列車は/小さな火を点しながら/奪われてしまった一日を西の空へと運ぶ。/車窓に幾たび、夕日が沈んだことだろう。/列車は、次から次へと沈む夕日の、かけらを拾い集め/苦しみを、ひとつ。/悲しみを、ひとつ。/乗客は、息を吹きかけて西の空で燃やそうとしている。
2つの詩を読みながら、さまざまな情景がフラッシュバックのように浮かんでは消える。津波のあとの薄磯、セイタカアワダチソウと黒いコンポストの楢葉、高木達さんの芝居「愛と死を抱きしめて」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、寺山修司の映画「田園に死す」、そして彼岸花が赤々と咲き誇っている土手…。それは震災を経てきた人、それぞれで違うのだと思う。
いまと6年前をつなぎ、現世と彼岸をつないでくれる詩。その1行1行から心の風景が映し出される。だから「わたしたちの詩」だと感じられるのだと思う。
イサジ式の「夕焼け売り」を車で聴きながら、いまだに荒野のままの風景を横目に海辺の家へと帰っていく。日没が遅かったころはマジックアワーと遭遇できることもあったが、いまはもう真っ暗だ。
(安竜 昌弘)
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