360号 五輪のこと(2018.2.28)

画・黒田 征太郎

主役は選手オリンピックは政治や放映権のためではない

 五輪のこと

 日本が史上最高のメダルを獲得した平昌五輪が終わった。ナショナルトレーニングセンターを中心とする指導体制が確立し、東京五輪に弾みをつけた、ということなのだろうが、どこか冷めている自分がいる。ときめかない。
 一番は、スポーツの政治利用があからさまに見える、ということだろうか。隣国で開かれているというのに、放映権の関係で目玉種目の時間設定がアメリカに合わせてあるのも気にくわない。「だれのための五輪なのか」という思いがふつふつと沸いてくる。
 でも選手たちに罪はない。緩んだ涙腺からは、何度も涙がこぼれた。なかでも印象的だったのは女子パシュートで、日本の特徴を最大限に生かしての「金」だった。
 決勝の相手はオランダだから、個人の力からすればかなわない。しかし日本チームは三人の力を合わせた総合力で勝負し、見事に競り勝った。一糸乱れぬスケーティングと精神面での連帯感が、強国を倒す原動力になった。
 この勝利は、団体競技における一つの方向性を指し示したのではないだろうか。前のラグビーナショナルチーム監督・エディー・ジョーンズさんは「世界中、どこのチームもオールブラックス(ニュージーランド)のラグビーをめざしている。これは間違い。日本には日本に合ったラグビーがある」と言っている。
 それはサッカーも野球もバスケットも同じで、素早くミスの少ない戦い方なのだと思う。それをつなぐのが「以心伝心」や「目配せ」という言葉に代表される、日本式のコミュニケーションであり、チームワークだろう。
 体格差や潜在能力の違いはどうしようもない。それを埋めるために筋力や体幹のトレーニングをし、正確さを磨き上げて相手の焦りやミスを誘う。そのためには、相手のことを研究しなければならない。わかりやすくいえば、忍者になるためのトレーニングだろうか。女子パシュートは、それを体現していた。
 二年後には東京五輪がやってくる。被災地で暮らす人間としては、忍者の目くらまし術のようで釈然としない。せめて、練習を重ねている選手たちの、純粋な心や尊厳を一番に考えるような五輪にしてもらいたいと思っている。 

(安竜 昌弘)

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