382号 公憤と義憤(2019.1.31)

画・黒田 征太郎

ボーッと生きていては見えるものも見えなくなってしまう

 公憤と義憤

 中村敦夫さんの朗読劇「線量計が鳴る—元・原発技師のモノローグ〈独白〉」を観るために上京した。主催はNPO法人ふくしま支援・人と文化ネットワーク。いわき出身者が中心のグループで、2度講演を頼まれて、福島の現状を話したことがある。会場はJR王子駅前の北とぴあで、満員の盛況だった。
 2016年11月、喜多方市での初演から数えると50回を突破し、百回講演に向けて着実に歩を進めている。中村さん自身、これほど反響を呼ぶとは思っていなかったのではないか。これまで4回(いわき、南相馬、那須、王子)観たのだが、その都度少しずつ台本が書き換えられ、原発技師になりきっての朗読も板についてきた。
 本当に元原発技師だと思って話しかけてきたお年寄りがいた、というエピソードを披露しながら、「79歳になりました。かつてのアクション俳優が、この年になってようやく演技派として認められたということでしょうか」と観客を笑わせた。
 中村さんの怒りは「公憤と義憤」だと言う。原発に巣喰う利権構造と「長いものには巻かれろ」の事なかれ主義…。「みんなで渡れば怖くない」と平気で道に外れたことをするものたちを真っ向から批判する。持ち前の正義感とジャーナリスト魂がそうさせるのだろう。
 そのほぼ1週間前、東電刑事裁判の報告会を取材した。福島第一原発の事故は天災ではなく人災とよく言われるのだが、強制起訴による裁判によって、東電の体質、国や政治との関わりが明らかになりつつある。ひと言で言えば、経済優先のご都合主義。大きな津波が来たときに備えて対策をとるための話し合いを進めていたのに、「大がかりな工事になり原発を止めるようなことになっては経営に差し障りが出る」という理由で先延ばしにしていた。「原子力ムラ」からの横やりもあり、津波対策をめぐっての水面下でのやりとりは、中村さんの朗読劇の中身と一致する。
 原発ありきの金権循環システムは巧妙につくられていて、よほど意識して見ないと目の前には現れてこない。しかもその既得権益は強固な鋼のような壁で覆われていて、簡単にこじ開けることができない。世の中にはそうしたものがたくさんある。その一片を手渡すように伝えようとしているのが中村さんの朗読劇だ。ボーッと生きているわけにはいかない。

(安竜 昌弘)

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