

見られている ネットはあなたのことを何もかも知っている
老化とネット社会 |
もう9月。虫の声がにぎやかになり、朝晩は涼しくさわやかな気候になった。ただ夏風邪が治りきらず、鼻声が続いている。認めたくはないのだが、老化を感じる今日このごろだ。
現象や症状はいくつかある。自分ではきちんと話しているつもりなのだが、発した言葉が違っている。車をまっすぐに停められない。本は買うのだが読み始めても集中せず、積ん読が増えていく—。ボーッとしていることが多いせいか、動き出さなければならないときは、心のなかで「よっこいしょ」と号令をかけることが増えた。
さらに困ることがある。仕事をするうえで使わざるを得ないパソコン、スマホなどで支障を感じることが多いのだ。例えば、ネットでの買物などが増えると、IDとパスワードの管理が必要になる。すべてが同じだったり誕生日など覚えやすいものだとハッカーに狙われやすくなるから、複雑にしたり、それぞれ違ったものにしなければならない。何かに書いて一括管理できれば問題ないのだが面倒なのでつい怠ってしまい、肝心なときにわからなくて右往左往してしまう。それがたびたびだ。
そんなことを感じながら朝日新聞「日曜に思う」で福島申二さん(編集委員)のコラムを読んだ。「ネットはあなたのことを何もかも知っている。見られているのはあなたの方ですよ」という趣旨の内容だった。SNSでの「いいね!」、ネットでの買い物、閲覧、検索、メールのやりとり、位置情報…。知らず知らずのうちにあらゆる個人情報が集められ、分析されて裸にされていく。米国のグーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの頭文字を並べて「GAFA」というそうだが、どれも頻繁に利用しているだけに恐ろしくなる。確かに、買い物をする際に情報を得るために検索すると、そのあとからネットページの広告に関連商品が現れ始める。好みが分析され、誘導から支配へと進んでいく。欧米ではソーシャルメディアやネット検索から距離を置こうとする人が増えているという。
クレジットカード、ネットバンキングなどキャッシュレス社会が進み、実態のない仮想社会がネットでつくられている。対面や電話、手紙ではなくメールやメッセージが主流になると、本心をつかみにくい。理由を「年なので」として極力ネットから離れ、必要最小限の利用にするのも、いいかもしれない。
(安竜 昌弘)
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