397号 池内紀さんの死(2019.9.15)

画・黒田 征太郎

またひとり社会を憂いながら良識派の文学者が逝ってしまった

 池内紀さんの死

 ドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんが8月30日、亡くなった。78歳。死因は虚血性心不全だという。動脈硬化などによって冠動脈が狭くなり心筋に十分な血液が行き渡らなくなる病気なので、「突然死」が頭をよぎった。身近に虚血性心不全で亡くなった人が何人かいて、ほとんどが予期せぬ死だった。
 新聞で訃報に接し、「あっ」と声が出た。そして池内さんと関わりが深く親しい川本三郎さんのことを思った。「心情、お察しします。気落ちしないで下さい」という内容の葉書を出すと、すぐに返事が来た。そこには「もっとも尊敬する方で、指針にしていました。その死に接し、ただ悲しく寂しい思いです」とあった。そしてその翌日(11日)、朝日新聞に川本さんの、池内さんへの追悼文が載った。そこには「(池内さんは)大きな声は嫌った。ささやきの人だった。大切な人が逝ってしまった。寂しい」と書かれていた。
 2人は毎日新聞書評欄「今週の本棚」の執筆者で、お互いの本も紹介し合った。それがとても温かく、2人の間の深い信頼を感じた。この書評欄は池内さんと川本さん、そして交流がある中村桂子さんの名前を探して読むことが多くなった。
 手元に「文学界」で連載された『快著会読』(本をめぐる鼎談)の単行本がある。メンバーは奥本大三郎さんと池内、川本さんで、発行は30年前。2人の盟友ぶりを垣間見ることができる。川本さんは妻・恵子さんが入院して付き添わなければならなくなったときに、持っている原稿の一部を池内さんにお願いし、恵子さんが他界してからは、池内さんが川本さんに「困ったことがあったら夜中でもいいから電話して下さい」と言ったという。その後も一人暮らしの川本さんに心のこもったアドバイスをし、精神的に支えた。
 最初に池内さんの本を手にしたのは『見知らぬオトカム—辻まことの肖像』で、古書店で見つけた。次に『ゲーテさんこんばんは』。これも同じ店で買った。池内さんには歴史に埋もれた人たちに光を当てて紹介するところがあり、出版社も大小さまざま。決して権威的でなく、えこひいきしない。これは川本さんも同じで、生き方がとてもフラットだ。そういうところに共感を覚えてきた。
 川本さんは追悼文で、池内さんが恩地孝四郎(美術家)の本について「図書館には似合わない。大学の研究室には場ちがいである。老舗の古書店の棚がいい」と書いたことを紹介し、「まさに池内紀さんの本がそうだった」と締めくくっている。
 池内さんは2年前に自伝的回想録ともいえる『記憶の海辺—一つの同時代史』を出した。その書評で川本さんは「(池内さんは)昭和15年、姫路の生まれ。物心ついた時には、戦争は終わっていた。戦後民主主義のなかで育った。回想記執筆の一因は、いま戦後民主主義が危うくなっているという危機感があるのだろう」と書き、「池内紀さんの大きな特色は、メジャーな作家よりマイナーな、中心より周縁にいる文学者や学者に惹かれること。幼くして父親を、さらに長兄を亡くし、苦労して育ったことが影響しているかもしれない」と論じた。「わが意を得たり」の評だった。
 池内さんの書評で印象深いのは『山之口貘詩集』(岩波文庫)について。「人間の貘は夢では生きられず、さりとて米にありつけず、放浪と貧乏つづき。そのなかで詩を書いた。なぜって人間貘には詩が要るからだ」と書き、「かなしくなっても詩が要るし/さびしいときなど詩がないと/よけいにさびしくなるばかりだ」(「生きる先々」)を引用した。
 そして出典がほぼ定本でなかったことに対して「編集への大きな疑義」を訴える。貘特有の広いアキが無視されたことに憤慨し「なぜ1篇ごとに改ページとしなかったのだろう。詩集は商品目録ではないのである。用語、措辞、構成、リズム、詩人が心血をそそいだ成果に対して、あまりにも心ないことではなかろうか」と書いた。
 この、山之口貘への思い、愛情。そして詩人が表現しようとしたことを無視した、理不尽で無神経な編集に対する怒り。数少ない良識派がひとり、またいなくなった。社会を憂いながら。まだまだ生きていてもらいたかった。

(安竜 昌弘)

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