407号 ある写真集(2020.2.15)

画・黒田 征太郎

1963-1965 変貌する東京を撮りその写真家は突然姿を消した

 ある写真集

 『オリンピックのころの東京』という18年前に出た写真集がある。出版した岩波書店は「フォト絵本」と名づけているから子ども向けなのだろう。確かに、絵本売場に置いてあった。文は敬愛する川本三郎さん、写真は春日昌昭さん。すでに絶版になっていて、古本市場では3倍以上の値がついている。
 オリンピックが開かれた1964年は昭和39年。東京はこの年を境に景観が一変した。春日さんは、30年代の風景や暮らしとの別れを惜しむように、変わりゆく東京をカメラに収めている。その写真にはこれ見よがしの演出がなく、自分が生まれ育った東京をまっすぐ見ている。その姿勢に共感を覚えたのだろう。川本さんの文章も写真と溶け合っていて、いい。
 春日さんは東京綜合写真専門学校で写真を学び、東京オリンピック前後の3年間、集中的に東京を撮った。モダン都市に変わろうとしていながら庶民感覚が残る東京を淡々と、でも名残惜しそうに切り取っている。そして65年の撮影が終わると突然姿を消し、大阪で紙芝居屋になってしまった。
 のちに母校で講師を務めることになるのだが、それはかつての恩師・重森弘淹さんが、紙芝居のテレビ取材を受けた春日さんを偶然目にし、呼び戻したからだった。しかし春日さんは1989年に46歳で亡くなってしまう。残されたネガの数も少ないという。
 この本のあとがきで友人の森裕貴さんは「春日の撮った写真が、今もって色褪せないリアルさを内包しているとしたら、彼の言う『写っている事実を大切に』という姿勢、その透き通るような視線と、己の記憶のはざまで映像を成立させているからに違いない」と書いている。
 東京オリンピックが開かれた64年、川本さんは20歳、春日さんは21歳だった。杉並区の阿佐ヶ谷で育った川本さんと墨田区の下町生まれの春日さん。ともに「普請前の東京」だった昭和30年代を愛し、横丁や路地に目を向け、下町情緒を大切にしている。そのあたりに、春日さんが変貌する東京を離れ、大阪で紙芝居屋を始めた理由があるかもしれない。
 社会は2020東京オリンピック一色になりつつある。「復興五輪」だという。誘致プレゼンテーションをはじめ、さまざまな演出をすべて剥がしてしまったときに、見えてくるものは何か。それを春日さんの写真が教えている。

(安竜 昌弘)

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