409号 木枯し紋次郎

画・黒田 征太郎

口に長楊枝 あてもない旅を続けるニヒルな旅鴉

 木枯し紋次郎

 「木枯し紋次郎」の再放送(スカパー・時代劇専門チャンネル)を楽しみに見ている。市川崑監督がマカロニウエスタンを意識して企画した渡世人もの。1972年から78年にかけて64本(正・続・新)作られた。
 「だれかが風の中に」というテーマ曲(六文銭。歌は上條恒彦)をバックに紋次郎が山野を歩くタイトルバックが新鮮で、50年近く前の作品とは思えない。当時31歳だった中村敦夫さんは、このドラマで一躍有名に。その後、俳優を続けながら報道キャスターや参議院議員を務め、今年の2月18日、80歳になった。
 
 上州新田郡三日月村の貧しい農家で生まれた紋次郎は、10歳のときに家を出ていつしか無宿渡世の道に入る。破れた妻折笠に道中合羽、赤い鞘の長ドス。土地を仕切る一家とは背を向けて関わり合いを持たず、ひたすら独り旅を続ける。
 金に頓着せず、女と子ども、素人衆には決して刃を向けないニヒルな旅鴉だが、結局は情にほだされて巻き込まれてしまう。長い楊枝を吹くと「ヒュウ」と木枯しの音がすることから木枯らし紋次郎と呼ばれるようになり、間引きされるところを救ってくれた姉・おみつと、長楊枝をくわえるきっかけをつくった、おしのの面影を胸に、あてもなく街道筋を彷徨い続ける。
 そんなアウトローぶりが時代の気分に合ったのだろう。人気女優たちが演じるヒロインは個性豊かで、悪女役が多いのも70年代風だ。そこが、良家のお嬢さんのマドンナが多い寅さんとは、決定的に違う。カット割りの新鮮さと泥臭い殺陣が評判を呼び、視聴率が上昇した。中村さんは撮影中に土手から転げ落ちてアキレス腱を切り、番組が中断したほどの激しい撮影だった。
 
 その中村さんと取材を通して知り合ってから、20年近くになる。参議院議員時代のことで、そのときのインタビューは「日々の新聞」の創刊号に掲載した。環境問題と精力的に取り組み、「みどりの会議」を立ち上げる準備をしていたころだった。「この活動は砂漠に水をまき続けるようなもの。果てしないように思うかもしれないが、いつか水と緑に覆われると、信じてやっている」と話していた。
 3.11のあとだった。中村さんから電話がかかってきた。「被災状況を見たいので一緒に行ってもらえませんか」ということだった。津波で破壊された、いわきの海岸線を巡った。久之浜で車を降りた中村さんは「空襲のあとの焼け野原と同じだ」と言ったまま絶句した。その後は、原発問題をテーマとする朗読劇「線量計が鳴る!」を持って全国を回り始め、その公演は94回を数えている。

 中村さんは4年前に出家した。最近のインタビュー(毎日新聞)では、「人のために生きることができれば尊い。それを仏教では『利他』と言う。利他の精神で生きている名もなき人は、世界にいっぱいいますよ」と話している。その言葉が紋次郎の生きざまと重なった。

(安竜 昌弘)

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