411号 自宅にて(2020.4.15)

画・黒田 征太郎

新型コロナに翻弄され狭まり続ける日常でカミュが読まれている

 自宅にて

 4月だというのに、年度が変わった感覚がない。しかも心がざわついて落ち着かない。新型コロナウイルスは、わずか2カ月の間に世界をすっかり変えてしまった。この感染力が強いウイルスとどう向き合えばいいのか。自分のなかでの規制が強まり、行動範囲が狭まれば狭まるほど、気持ちが縮んでいく。
 みんな同じ気持ちなのだろう。フランスのノーベル賞作家、アルベール・カミュ(1913―1960)の小説『ペスト』がこの2カ月で15万部も売れたという。この数字は30年分に匹敵するそうで、累計でも100万部を突破した。その一節「それは自宅への流刑であった」と自分の窮屈な日常が重なり、共感が広がっているのだと思う。
 必ずマスクを着け、こまめにアルコール消毒や手洗い、うがいをする。極力外出を避け、家にいる。となると本を読むか、テレビやDVDを見るか、音楽を聴くしかない。庭木の手入れという手もある。ここは気の持ちようで「忙しさにかまけて日ごろできなかったことをする機会ができた」と思えば、気も紛れるというものだ。
 新聞記者なので現場を踏み皮膚感覚を研ぎ澄ますことが大事なのだが、催し物は次々と中止になり、取材制限も増えている。驚いたのは、トリチウム汚染水に関する意見聴取会が代表取材になり、インターネット中継を見るしかなかったことだった。
 カメラが切り取った画一的な世界なので、枠の外が見えない。それは自らの感性を磨き、気づきや切り取り方で勝負する記者にとって手足を縛られているようなものといえる。コロナを理由に不特定多数の記者を閉め出し、「きちんと意見を聞く会を開いています」という既成事実づくりのようにも思えてくる。
 さらに、ほとんどの人たちがやるせない思いで日々を過ごしているというのに、コロナ禍に便乗した商売、いわれのない中傷や差別、攻撃も目につく。それがイライラを募らせる。

 カミュはジャーナリストでもあった。第二次世界大戦中に厳しい検閲を受けながらも「ソワール・レビュブリカン」紙上で平和主義を唱え続け、新聞が発行停止になってしまう。それが原因で新聞社をクビになり、その後、不条理をテーマとする『異邦人』などを書くことになる。そして46歳のとき、交通事故で死亡した。その人生も実に興味深い。

(安竜 昌弘)

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