415号 古関裕而のこと(2020.6.15)

画・黒田 征太郎

「六甲おろし」が聞けない無観客のスタンドって…

 古関裕而のこと

 春のセンバツに選ばれたというのに、大会が中止になった32校に、朗報が舞い込んだ。8月に甲子園で交流戦を開くという。夏への道も断たれてしまった球児たちにとっては、思ってもみなかったご褒美だろう。このなかには、21世紀枠の磐城高校も含まれていて、話題を集めた。いつもながら…。

 福島市出身の作曲家、古関裕而をモデルにしたNHK朝の連続ドラマ「エール」を見ている。流行歌、行進曲、軍歌、クラシックと幅広い作曲活動で知られ、自らを「何でもあるデパートのよう」と称した。確かに「東京だヨおっ母さん」「若鷲の歌」「イヨマンテの夜」「モスラの歌」「オリンピック・マーチ」と、その多彩さに驚かされる。夏の甲子園の入場行進曲 「栄冠は君に輝く」も古関の作曲だ。
 古関は1977年(昭和52)、制定30周年を記念して夏の甲子園の開会式に招待された。その大会には母校の福島商も出ていて、三浦広之投手の快投によって夏初勝利を挙げ、校歌が流れた。実はこの校歌も古関が作曲したものだった。
 1957年(昭和32)、創立60周年の記念式典でその校歌が披露された。古関も招待され、来賓席が用意されたというのに、式が始まっても現れなかった。ところが「同窓生、起立」の号令で同窓生が立ち上がると、そのなかに古関がいた。「わたしは来賓なんかではなく、同窓生の1人」。実に古関らしいエピソードだ。
 戦意高揚のための軍歌を作り、多くの若者の尊い命を奪ってしまったことに心を痛め、戦後に鎮魂の意味を込めて「長崎の鐘」を作った。そして疲弊した国民を、歌で元気づけることに専心し続けた。笠置シズ子などともに務めた「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員は、その象徴だったのだと思う。

 プロ野球が19日から、観客なしで始まる。古関が作曲した応援歌「六甲おろし」(阪神)も「闘魂こめて」(巨人)も、スタンドに響かない。阪神OBの川藤幸三さんが「六甲おろしが流れると血が逆流するような感覚になる」と話していた。
 コロナの1日も早い終息を願うばかりだ。

(安竜 昌弘)

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