429号 かたづけ(2021.1.15)

画・黒田 征太郎

勝負は朝の10分 道具を元に戻す
暖房から離れる 思ったら動く

 かたづけ

 昨秋に石川郡浅川町の吉田富三記念館を訪ねてから、この癌研究者に興味がわき、その人生哲学や人となりを2回にわたって紹介した。机の周りは関連本や資料でいっぱいになり、雑然としたなかでの原稿執筆が続いた。今回の号でひと区切りがついたので、やっと頭を真っ白にしてかたづけができる。それにしても、ものが多すぎる。
 以前、モダンな日本建築にこだわりを持つ大工さんに話を聞いたことがある。
「欧米の家は博物館型、日本の家は劇場型。年がら年中、何でも置いておくのがいいとは限らない。日本には、そのための納戸という空間があり、季節に応じて必要な物を出して使う」
 その大工さんにそう言われ、納得した。でも実践はできていない。本やお気に入りのものはどんどん増え、挙げ句の果てにどこに仕舞い込んだのかわからなくなってしまう始末だ。
 借りものを嫌い、自分の素顔で生きていくことを心がけた富三は、よくゲーテの警句を紹介した。それは「住居や調度を懐古趣味や外国趣味で埋めるのは仮装舞踏会のようだ。トルコ人に扮して舞踏会に行くのは一興かもしれないが、年じゅう仮装しているのはたまらない」というものだった。それを明治の日本に置き換え「仮装舞踏会を続けすぎておのれを見失ってしまった。仮装用の物資を本来の必需品として求め、誤りを悟らなかった。そして戦争に突き進んでしまった」と分析した。
 ま、富三の哲学的な鋭い洞察は脇に置くとして、西洋スタイルの博物館型になってしまったわが部屋のかたづけである。仕事の区切りごとに断捨離を決意し、処分しているつもりなのだが増えてしまう。結局は、捨てるものより買うものの方が多い、ということなのだろう。
 タイミング良く沢野ひとしさんが『ジジイの片づけ』という本を出した。そのなかで、1日の助走としての「朝の十分間かたづけ」を勧めている。大げさに考えず、毎日続けることがコツなのだという。その基本は、道具をあった場所に戻す、ということ。わかってはいるのだが、なかなかできない。テーブルはものであふれ、布団周りは本が積み重なっていく。
 さらに「起きたら窓を開ける」「人生に不安を感じたら窓を拭く」というアドバイスもある。要はジジイに「いつか」はない。思い立ったら、温々とした暖房から離れて行動せよ、ということだろうか。

(安竜 昌弘)

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。