伝説が事実に しなやかに その人生を語る
『秋吉久美子調書』 |
遅ればせながら『秋吉久美子調書』を読んだ。映画評論家で監督でもある樋口尚文さんによるロングインタビューで、まさに供述調書。帯には「これは『調書』だからセンチメンタルではいけない。読み物だからつまらなくてはいけない。45年余の女優人生。ウソはない。調書だから」という秋吉さんの言葉が添えられている。
樋口さんは1962年生まれなので世代的には下だが、ひし美ゆり子さんや水野久美さんとの共著もあり、70年代の日本映画に詳しい人、として知られている。これまでしてきたことを見ると、「興味の共通性」という点で親しみを感じる。
さて、秋吉さん。本名は小野寺久美子。父方の祖父は宮城県登米出身の歯科医。父は函館生まれで、水産関係の技術研究者。静岡県富士宮の結核療養所に入院していたときに看護師をしていた秋吉さんの母と知り合って結婚、秋吉さんが生まれた。その関係で、出身地は静岡県になっている。
その後、父の仕事で徳島県日和佐町(現在の美波町)に移り住み、小学生のとき、いわき市の小名浜に引っ越してきた。それから、小名浜二小、小名浜一中、磐城女子高を経て、女優の道を歩んでいくことになる。
秋吉さんとは同世代なので、高校時代にはさまざまな「小野寺久美子伝説」を耳にした。いわきでは、それほど目立つ女子高校生だった。一番は、そのチャーミングな容姿だが、振る舞いが屈託なく自由だった。地方の高校にも学生運動の波が押し寄せてきていたころで、時代の気分に合っていたのだと思う。
この本にはプライベート写真がふんだんに使われ、高校の文芸クラブ部長時代に書いた小説(ペンネームは小野寺久美)まで紹介されている。さらに高校時代に映画「旅の重さ」のオーディションを受けて出演した経緯や高月講習会での浪人中に味わったやるせなさ、芸能界入りのきっかけなどが、正直に語られている。出演作でのエピソードや感想、監督の印象なども入っていて、そこに非難や好き嫌いはない。実に冷静で鋭い。
秋吉さんとは数年前、2回ほど会った。還暦を過ぎたというのに、こちらが照れてしまって思うように言葉を交わせなかったのだが、実物の秋吉さんは、あの奔放なイメージとは違ってシャイでナイーブな女性だった。そして「秋吉久美子伝説」は「人間・小野寺久美子」に変わった。
(安竜 昌弘)
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