438号 戦場で生きる(2021.5.31)

画・黒田 征太郎

戦っている勢力がすべてを曖昧にするとき
本当に何が起こっているかを伝えられなければ取材は失敗だ

(メリー・コルヴィン)

 戦場で生きる

 ミャンマーの民主化を求める人たちに対する軍事政権の弾圧や、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区に対する空爆の映像が流れる。胸が痛むのは、子どもや女性が巻き添えになって命を落としていくことで、「いつになったら力による支配や報復の連鎖は終わるのだろうか」と思う。  

「スカパー!」で隻眼の戦場女性記者のドキュメンタリー「メリー・コルヴィンの瞳」とその人生を映画化した「プライベート・ウォー」を見た。メリーは2012年の2月22日、シリアのホムスで政府軍がメディアセンターをめがけて放った砲弾で死亡した。56歳だった。
 アメリカニューヨーク州のロングアイランドで育ち、エール大学を卒業後、UPI通信社を経て英国の「サンデー・タイムズ」(タイムズの日曜版)で戦場取材を始めた。2002年に内戦中のスリランカで爆発に巻き込まれ、左目を失明。以来、黒い眼帯をしながら戦場を駆け巡った。
 レバノン内戦やチェチェン紛争、イラク戦争やアフガニスタン紛争など危険な取材を重ねたメリーは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされ、死と直面した記憶がフラッシュバックのように出ては消えた。それを打ち消すために度数がとても強いウォッカ・マティーニを浴びるほど飲んでアルコール依存症になり、精神を落ち着かせるためにひっきりなしに煙草を吸った。
 その取材は「この目で見ずにはいられない」という現場主義に貫かれ「戦闘機や戦車の種類なんてどうでもいい。ただの数字じゃなくて1人ひとりの物語を紡ぐのだ」というのが、彼女の口癖だった。
 命を落としたシリアでは「政府は嘘をついている。アサドはダマスカスの宮殿にいて平和的な運動を暴力で弾圧した。自分の仕事は民衆のそばにいて、その様子を世界に伝え続けること」と言った。つねに最前線での命を張った取材だった。
 戦場から遠く離れた日本という国のジャーナリズムを思う。あったことをなかったことにされても突き崩すことができない。メリーもそうした虚しさを感じていた。現場で「何が起こっているかを世界に伝えて。子どもたちが死んでいることを」と懇願されて記事を送っても、視聴者にとっては遠い国での出来事にすぎず、悲しいぐらい無関心なのだった。

(安竜 昌弘)

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