440号 五輪考(2021.6.30)

開催地を 聖地アテネに 固定する

 五輪考

「スポーツ好き」を自認している。1964年10月10日に開会式が行われた前回の東京五輪のときは小学5年生で、各競技に一喜一憂し、市川崑が指揮を執った記録映画の新鮮な映像に胸を躍らせた。あのときは国民のほとんどが開催を誇りに思い、成功を祈っていたような気がする。ところが今回である。
 さまざま、納得できないことが多い。まず、「復興五輪」を謳っているのに、なぜ会場が東京なのか。誘致プレゼンテーションで安倍首相が言った「アンダーコントロール」はまやかしで、いまだに放射能禍は続いている。そしてコロナ禍での強行突破。どう考えても、感染を封じ込めることができるとは思えない。
 いわきでの聖火リレーを見たが、そこには崇高さのかけらもなかった。走者の前をスポンサー企業の車が何台も走り、まるで商業パレード。さらに走者の前の車には大勢の報道陣が乗り込んで映像や写真を撮っている。それさえ見世物のようだった。
 オリンピックがショービジネス化したのは、1984年のロサンゼルスから。マラソンは今回と同じように8月に行われ、選手にとって過酷なレースになった。その背景にあるのはスポンサーやテレビ局優遇で、オリンピックの黒字化が定着したことで、商業主義が加速した。さらにアマチュアリズムの崩壊が格差を生み、プロスポーツの一流選手たちは選手村ではなく、高級ホテルを使うようになった。誘致合戦では買収が恒常化し、オリンピック精神は、完全に地に落ちた。
 この際、夏のオリンピックは発祥の地・アテネ(ギリシャ)だけでの開催にしてはどうか。オリンピアで点された聖火が5つの大陸を巡って再びアテネに戻る。すべての選手が選手村に宿泊して交流を深め、同じ条件で真剣勝負をする。そうすれば誘致合戦も施設建設も必要なくなり、アテネは文字通り聖地になる。 新型コロナによるパンデミックが世界を被っているというのに、オリンピックのあり方そのものを考え直す発想がどこからも出ない。結局はお金の呪縛から逃れられないということなのだろう。それは、止めようとしても止められない原発も同じだ。

(安竜 昌弘)

そのほかの過去の記事はこちらで見られます。