448号 「MINAMATA」のこと(2021.10.31)

画・黒田 征太郎

 

映画と事実の間にあるものを埋めていく

 忖度の底流

 映画「MINAMATA—ミナマタ—」を見た。写真ジャーナリスト、ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの水俣をめぐるものがたり。ジョニー・デップが企画し、自らスミス役を演じた。それがとてもリアルで、70年代の水俣の風景を求めてセルビアなどでロケをしたという映像も美しく、印象に残った。
 でも、しっくり来ない。前にNHKのETV特集「写真は小さな声である〜ユージン・スミスの水俣〜」を見ていたこともあって、期待が大きすぎたのかもしれない。事実と違う部分が疑問点として残ってしまい、映画を見ながら「あれ、あそこはこうだったのではなかったかな」と余計なことを考えてしまった。
 実は前にも、同じようなことがあった。特ダネをとるために会社に泊まり込んで夜討ち朝駆けを続けている新聞記者が出てくる舞台で、記者の腰に下ろしたての手ぬぐいがかかっていた。「どうして使い古したものを使わなかったのだろう」と思い始めたらそれが気になって、筋どころではなくなってしまった。「些細なことだろう。小さいね」と言われればそれまでなのだけれども、「神は細部に宿る。そこまで気を配らなければ真実を映し出すことはできない」と思ったので、意を決して演出家にさりげなく言った。
 ドキュメンタリーと劇映画は違うということは、頭では理解している。「MINAMATA」をいま制作した意図もわかる。環境汚染というのは知らないうちに進み、わかったときには取り返しのつかないことになっていることが多い。原発事故に遭って、放射性物質が消えるまでには途方もなく時間がかかることを実感したし、放射線による障害は晩発性であることが多く、なかなか因果関係を証明できない。放射性物質に対する感受性という個人差もあり、ロシアンルーレットのようなものだ。
 そんなことを考えながら、「この映画で水俣の人たちの苦悩、スミスとアイリーンの葛藤を多くの人に知ってもらい、水俣病の本質を深く広く理解するためのきっかけになれば」と思えるようになった。それもあって、『魂を撮ろう—ユージン・スミスとアイリーンの水俣』(石井妙子著・文藝春秋社刊)を読んでいる。2人の人生やその背景、水俣での生活ぶり、水俣病の歴史や実態などがわかりやすく、しかも多重的に綴られている。
 歯が悪く固形物を食べることができなかったスミスにとって、牛乳とウイスキーがガソリンだったという。水俣でスミスが聴いていたというジャニス・ジョプリンの「サマータイム」がよみがえってくる。

(安竜 昌弘)

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