452号 消えゆく食文化(2022.1.1)

画・黒田 征太郎

 

うみ、まち、やま

季節や生活から生まれた料理

 消えゆく食文化

 震災による原発事故が起こり、その後母、父と続けざまに亡くしたこともあって、浜料理が食卓に上がることが、ぐんと減った。事故前はすぐ前の磯で採れたシュウリ貝やアサリ、マツモ、シジキなどが汁物の具になっていたが、いまは防潮堤でふさがれて入ることができないし、何より放射性物質の不安があるから、だれも採ろうとしない。あれ以来、浜の食文化は大きく変わった。
 手元に、いわきの伝統郷土食を紹介した『ふるさといわきの味あれこれ』(佐藤孝徳・小野一雄共著)がある。ページをめくっていると、懐かしい味が蘇ってきて楽しい。いまでは正月行事が簡素になってしまったが、かつては年始客がひっきりなしに来て接待することが普通だったので、出す料理も違っていた。その代表が「御平」。いわきではなまって「おしら汁」と言う。ニンジン、サトイモ、コンニャク、切り昆布、ゴボウ、アカジなどが入っている。
 さらに、「アンコウの共酢」。正月は15日間にわたって行事があり、保存がきいて味も上品なこの料理がもてはやされた。ポイントは擂りつぶしたアン肝と味噌、砂糖、酢を混ぜて作る味噌和え。アンコウは、昭和30年代までは手に入りやすい大衆魚だったので、この肝入り味噌和えこそが家庭の味だった。
 いわきは広いので地区によって食文化がかなり違う。高校生になって「マンボウやイルカを使った料理を食べている」と言ったら驚かれ、カルチャーショックを受けた。マンボウ料理は淡泊な刺身と肝みが定番。肝と味噌、塩などを混ぜ、からめて食べる。一方、イルカは臭みがあるので熱湯をかけて血抜きをし、あく抜きしたゴボウと一緒にイルカの脂身で炒める。味は味噌と砂糖でつける。逆に山間部ではイノシシ鍋を食べるが、沿岸部では食べない。コンニャクの刺身やあかあか餅なども同じで、とんと縁がなかった。
 思えば地域に根ざした料理には、根底に暮らしがある。海辺では季節によって魚が変わり、さまざまな料理が生まれた。その代表がサンマのぽうぽう焼きやウニの貝焼きだろう。料理による季節感、地域性が失われようとしていたなかで、原発事故がとどめを刺した。それがとても、悲しくて悔しい。

(安竜 昌弘)

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