マスコミと教育だけは間違った道に進んではいけない
言葉のつぶて |
「マスコミと教育だけは間違った道に進んではいかんのだ」―。何気なくテレビを見ていて、その言葉がすとんと入った。「何をいまさら」と思われるかもしれないが、言うべき人が言うと言葉は説得力を持ち、重くなる。その主は、原爆の後遺症に苦しみながらも核兵器廃絶運動の先頭に立ち続け、昨年10月24日、96歳で亡くなった坪井直さんだった。死因は貧血による不整脈。追悼番組がたくさん組まれた
坪井さんは1945年(昭和20)8月6日、広島工専(現在の広島大学工学部)への通学途中、爆心地から1.2km地点で直接被爆し、顔や両腕に大やけどを負った。その後、中学校の教員になり、生徒たちに原爆の悲惨さを訴え続けた。「とにかく1人でも多くの人に話していかなければ」と決意し、子どもたちが関心を持ちやすくするために、自分のことを「ピカドン先生」と名づけた。「不撓不屈、ネバー・ギブアップです」「一番大切なのが命なんですよ」。大きな声で心を込めて語る一言ひとことはまさに真剣勝負で、その熱が多くの人たちに伝わり、影響を与えていった。坪井さんはまさに原爆の語り部であり、伝道師だった。
2004年(平成16)、広島県原爆被害者団体協議会の理事長になった坪井さんは7年後に起こった東日本大震災と原発事故に対して「人間が原発を手足のように使おうとしても無理だということがわかったんじゃないか。人間の知恵が及ばず、克服できないのなら使うべきでない。実際、苦しんでいる人がいるんだから。被爆者団体も平和とか命という言葉を使って、苦しんでいる人を助けられる団体にならなければいけない。名称を変え、みんなで手をつないでいく必要がある」と言った。
いわれのない差別を受け、メディアに登場すると陰でいろいろ言われた。それを振り切り、顔をさらして原爆被害者の先頭に立った。アメリカで展示されているエノラ・ゲイ(B29)を実際に見たときに「アメリカも苦しんでいるのです」と言われ、対立を乗り越えることの大切さ、憎しみからは何も生まれないことを、あらためて悟ったという。
「立派な運動はいずれも無関心、嘲笑、非難、抑圧、尊敬という5つの段階を経るものである」とガンジーは言った。坪井さんは20歳で被爆し、75年もの間、人々の無理解、無関心に耐えながら、子どもたちの未来のために言葉の種をまき続けてきた。そしてマスコミと教育への言葉のつぶては、まさに遺言と言えた。心に渦巻いていたのは政権の暴走を止められず「8月ジャーナリズム」でお茶を濁しているメデイアへの叱咤であり、自ら関わってきた教育の心もとなさ、だと思う。坪井さんの気迫あふれる堂々とした姿を、心に刻みたい。
(安竜 昌弘)
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