460号 ひとから機械へ(2022.4.30)

画・黒田 征太郎

 

あちらこちらで
人間ボッコちゃんが増殖を続けている

 ひとから機械へ

 コロナ禍が拍車をかけたのだと思う。急激に時代についていけなくなった。具体的に言うと、セルフ、自動化の波にである。先日も愕然とする出来事があった。
 ほんとうに何年ぶりかで鉄道を利用した。新型コロナが蔓延してからはできるだけ車を使うようにし、遠出を避けていた。しかしどうしても上京しなければならない用事ができて、常磐線の泉駅からスーパーひたちに乗った。まず、そこでつまずいた。
 泉駅で指定席券などを買うには自動発券機でしか買えないようになっていた。慣れていないこと、後ろがつかえていることもあってあわててしまい、乗車券をだぶって買ってしまった。駅員さんにその旨を説明すると、「払い戻しは東京へ行ってからでないとできないんです」と言う。よくよく話を聞いてみたら、「みどりの窓口」でなければ対応できず、市内はいわき駅にしかない、とのことだった。浦島太郎の心境だった。
 ここにきて、QRコード方式がどんどん普及し、パソコンやスマートフォンを使った方が便利な世の中になっている。いずれ、それが当然のことになり、機械を相手にすることが苦手な人間は置いてきぼりをくらい、生きていけな1958年(昭和33)だから、64年も前の話で、ただただ、その先見性に脱帽するしかない。
 いまや、スーパーやコンビニでも機械に向かってお金を払い、ついにはロボットがラーメンを運んでくるようになった。店員さんが注文を取りに来て、料理を持ってくる。そこに人間としての営みが生まれていたのだが、いまは、客の方が機械に使われ、ロボットに気を遣っている。実に悲しい。 
かつて、古今亭志ん朝が落語のまくらで言っていた。
 「プロがいなくなっちゃってね。お客さまがわざわざ足を運んでくれて木戸銭を払う。そこで満足させるのがプロなんです。いい時間を過ごした、って言ってもらえるのがね。それには芸を磨かなければなりません。おかしければいいというもんじゃないんです」
 世の中の主流はセルフ化、機械化による均一化。言葉も早口で「人間ボッコちゃん」があちこちで増殖し続けている。個性の時代が懐かしく愛おしい。

(安竜 昌弘)

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