462号 真三さんの熱さ(2022.5.31)

画・黒田 征太郎

 

支援はブームではない ずっと見守り寄り添う

 真三さんの熱さ

 放射線衛生学者の木村真三さんは熱い。しかもすぐ行動する。今回もロシアによる侵攻で戦禍に巻き込まれたウクライナの人たちのために、立ち上がった。

 初めて会ったのは2011年の5月だった。厚生労働省の研究機関に勤めていた真三さんは原発事故直後、「事故に関する自発的な調査はしないように」と上司から釘を刺されたため、辞表を出して福島県内の放射線影響調査に入った。車には測定記録装置が載っていて、放射能の濃淡がすぐわかった。「それなら」と車に乗せてもらい、一緒に市内をぐるぐる回って取材した。
 そのときに川前にある志田名・荻地区の放射線量がかなり高いことが明らかになり、集落に入り込んで住民主導の「放射能汚染マップ」を作る手助けを始める。真三さんは「集落の人たち一人ひとりが市民科学者になって、自分たちの地域を自らの手で再生してもらいたい。そのためなら、どんな手助けもする」と通い続けた。しかし、復興のなかで分断が生まれて結束が崩れた。原発事故後によく見られたことが、素朴な山あいの集落でも起こったのだった。

 宗教学者の島薗進さんが主宰する「ゲノム問題検討会議」の鼎談をインターネットで見た。メンバーは島薗さん、池内了さん(物理学者)、そして真三さん。会では20年にもわたってウクライナに通い、さまざまな調査をしている真三さんが中心になって、現状を話した。真三さんの調査は人間対人間が基本で、関係がどんどん深まっていく。
 コロナ禍で渡航が制限され、さらに戦争状態になってしまったウクライナの人々のことを思うと、いてもたってもいられない心境なのだろう。その話は難しい理屈抜きで、ウクライナの歴史や現状を背景にしながら、「いま、彼らのために一番何が必要なのかを考えてください」と訴え続けた。
 「支援と言っても、ありがたくないことがいっぱいあるんです。ウクライナの国歌を聴かせたいから来てくれ、と言われても困るんです。自己満足じゃだめなんです。まず、何を求めているのかを知ることが一番です。それをわかっているのが、原発事故でふるさとを追われた福島の人たちです。いまだに帰れない人がいる。難民なんです」
 真三さんが調査に入ったウクライナの地域は、とてものどかな農村だった。そこに取り残されたお年寄りたちと交流し、サポートを続けた。でもいまは、どうなっているかわからない。
 支援はブームではない。自らの心が動かされて行動を起こしたら、ずっと見守り寄り添っていかなければならない。まっすぐで純粋な真三さんの姿を間近で見て、そう思う。

(安竜 昌弘)

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