466号 梅乃さんの命日(2022.7.31)

画・黒田 征太郎

 

本当のことを心ある人たちに確実に伝えたい

 梅乃さんの命日

  2006 年(平成18)8月2日、東京品川の桐ケ谷斎場にいた。とても暑い日だった。「草野梅乃さんがお亡くなりになった」という知らせを受けて上京し、告別式に参列した。7月30日の午前1時15分、呼吸不全のために息を引き取った、という。85歳だった。ずっと介護していた息子の杏平さんの悲しみを思うと、どう声をかけていいのかわからなかった。あれから16年になる。
 初めてお目にかかったのは1998年(平成8)の夏だった。その年の12月にいわき市立草野心平記念文学館で「ひとつの道―草野天平展」が開かれることになり、学芸員の二人が打ち合わせのために梅乃さんを訪ねるというので、同行させてもらった。展覧会に合わせて天平の連載をするつもりでいたので、どうしてもあいさつがしたかった。梅乃さんは春に目黒駅前で転んで足を折ったあとで、松葉杖をついていた。そのとき杏平さんもいて、名刺を交換した。それが天平と梅乃さんを巡る長い旅の始まりになった。
 それから何回か二人を訪ねて話を聞き、連載が始まってからは電話での取材が続いた。梅乃さんはいつも毅然としていて、話を逸らすようなことはしなかった。ありったけの資料を提供してくれたうえに、聞きにくいことにも、まっすぐ答えてくれた。凜としたたたずまいがあるのだが、うっかりやさんで少女の恥じらいもある、実に魅力的な女性だった。
 その後、50回の連載記事を本にすることになり、補助取材をするために梅乃さんと杏平さんに、京都、坂本、比叡山を案内してもらった。気持ちが入っていたのだろう。天平の生きたかけらを漏らさず拾いたい、その風景を心に焼き付けたいという思いが強すぎて、当時78歳の梅乃さんをずいぶん歩かせてしまった。しかもそのときのことが原因で、梅乃さんの足が痛むようになった。すると梅乃さんは「足が痛むたびに安竜さんとご一緒した旅のことを思い出すことができますから、これも悪くありません」と微笑んだ。その表情がいまも忘れられない。
 2年前、いわきアリオスで天平と梅乃さんをテーマにした朗読劇が行われた。楽しみにして出かけたのだが、梅乃さんの描き方があまりにも薄っぺらで、正視に耐えられなかった。そうしたことはよくあるとはいえ、本質に届いていないその解釈と演出に憤り、無言で会場をあとにした。以来、真実を心ある人たちにだけ確実に伝えたい、と思うようになった。
 梅乃さんは琵琶湖が見える墓に、天平と一緒に眠っている。

(安竜 昌弘)

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