ちいさくてゆっくりしたものを
しっかりと守っていきたい
70年代の記憶 |
学生時代、新宿区小滝橋の近くに住んでいた。1974年(昭和49)から三年間で、まさに70年代のど真ん中。天気のいい日は細長い神田上水公園を散策しながら東中野まで遠征した。通っていた大学が東武東上線の奥だったので、行動範囲は自然と池袋や新宿になった。楽しみは映画やコンサート、そして競馬。都内の映画情報が載っている情報誌「ぴあ」や「シティロード」、スポーツ新聞を隅々まで読んでいた。
「東京人」12月号の特集は「東京映画館クロニクル」。「なつかしの名画座から令和のミニシアターまで」とサブタイトルがついている。なくなってしまった池袋文芸座や銀座並木座、そしていまも頑張っているポレポレ東中野、ラピュタ阿佐ヶ谷などが紹介されている。何より嬉しいのは、映画を映画館で見ることにこだわっている人たちによる思い入れたっぷりのエッセイで、それぞれの時代を垣間見ることができる。
最寄り駅だった高田馬場の駅前には早稲田通りが走っていて、駅を降りると早稲田方面と小滝橋方面に分かれる。小滝橋へ向かう道はだらだら坂で、途中に洋画専門の名画座「パール座」があった。その手前には手塚プロダクションが入っているビルがあり、窓には鉄腕アトムが描かれていた。その前を通るときにはいつもビルを見上げ、手塚治虫の姿を探した。高田馬場にはもう一つ、早稲田側に「早稲田松竹」という名画座があって、よく「男はつらいよ」がかかっていた。雨が降っていて気が重いときには、寅さんのラストシーンで広がる青空を見たい気持ちに駆られ、「松竹」に飛び込んだ。「東京人」では小説家の蝉谷めぐ美さんが早稲田松竹のことを書いていて、いまも営業していることを知った。
鮮烈に覚えているのは、池袋文芸座での「黒木和雄特集」。「祭りの準備」を観たあとに、体当たりの演技で存在感を示した新人女優の桂木梨江さんが舞台に上がり、初々しくインタビューを受けていた。文芸座では浅川マキのコンサートや安田南と西岡恭蔵の共演も忘れられない。それぞれの心に、そうした時代の記憶が息づいているのではないか。だからこそ、小さくてゆっくりしたものを大切にする文化を守っていかなければ、と思っている。
3年前、用事があって手塚プロダクションを訪ねた。高田馬場の駅前にあるとばかり思っていたら、小滝橋寄りに引っ越していた。階段を降りて玄関を入ると、キャラクターグッズが所狭しと置かれていて目を見張り、わくわくした。その足で高田馬場を少し散策した。住んでいた坂の途中のアパートはマンションに変わり、パール座はもちろん、よく利用したカレー屋もクジラ肉のステーキを食べさせてくれた定食屋も姿を消していた。
(安竜 昌弘)
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