ギターとハモニカで 思いを伝える歌は
人から人へとつながっていく
イサジ式のこと |
そりゃ黙って知らぬふり
忘れてしまいたいさ
優しい言葉に包まれて
眠り続けたいさ
水は誰のもの 土は誰のもの
人は水に生まれ 人は土に還る
誰に習ったわけじゃない
あたりまえのこと
だから声を上げるのだ
取り戻すために
イサジ式が歌う「水は誰のもの土は誰のもの」。3枚目のCDの表題曲で、最初に入っている。「フォーク者」であることにこだわり、吟遊詩人のようにさすらって歌を手渡す。その姿勢はこの8年間、変わっていない。
本名は伊佐治勉。1955年、いわき市小名浜の生まれ。美大を出てイラストレーターとして仕事をしながら、高田渡など中央線フォークの面々とかかわり、グループの一員として活動してきた。
ソロとして歌い始めたのは2011年の震災・原発事故のあとから。生まれ育った町を津波が襲い、放射能をまき散らされた。いてもたってもいられずに高速バスで小名浜へ向かうと、そこには目を疑う光景があった。日を追うごとに「当事者なのに当事者になれない思い」が募り、葛藤が続いた。そして歌が生まれた。
CDはすでに4枚。ほとんどが自作で、ジャケットやラベルも自らのイラストを素材にデザインする。同世代の共通項がそうさせるのだろうか。聴けば聴くほど情景が浮かび、自らの人生とシンクロする。そして歌のフレーズが味わいとなって少しずつ沁みてくる。
小さな歌が人から人へ
道を渡って流れていく
小さな歌は街から街へ
川を渡って流れていく
「小さな歌」ではこう歌い、「笑われてもあきらめず/しなやかに/したたかに/倒されてもあきらめず/しなやかにしたたかに」と続く。そこに同じ思いを感じる。
虚無感が社会を覆っていた70年代。地方の高校に学生運動の余波が来て権威や体制に対して懐疑的になり、それが伏流水となっていまがある。原発事故後の国の対応や安倍、岸田政権がしてきたことに対しても決して認めることはできない。だから声を上げるのだ。
11月18日午後2時、イサジ式は小名浜八景の1つである浄光院で、この12年の思いを胸に歌う。ともし火を分けあいながら、消えそうだった灯りがまた強く確かになるように、心優しき人たちの祝祭として。静かな叫びがみんなを1つにしてくれる。
(安竜 昌弘)
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