裁くものは 必ず裁かれる それが歴史である
(むのたけじ)
言葉をかみしめる |
大晩年 大音声の 野分け星
黒田杏子さんの句。2016年9月24日、早稲田大学大隈記念講堂で行われた「ジャーナリスト・むのたけじさんの魂を継承する」で披露された。むのさんは101歳まで生きてジャーナリストとしてたいまつを掲げ、声を上げ続けた。
「野分け」とは暴風のこと。むのさんは自らが従軍記者として見た戦争の悲惨さ、愚かさを胸に刻み、最後の最後まで非戦と核廃絶による平和を一貫して訴えた。ひとたびマイクを握ると、あの小さな体のどこからあれほどの大きな声が出るのか、と思うほどの気迫で聴衆に言葉のつぶてを投げ、心をわしづかみにした。
2013年の10月12日だった。むのさんが秋田県潟上市で講演することを知り、朝5時に車でいわきを出た。「日々の新聞」を創刊して10年、震災から2年、むのさんは98歳だった。
戦争が終わったというのに、自ら戦争責任をとらない朝日新聞の体質に業を煮やし、終戦の日に辞表を出したむのさんは1948年(昭和23)2月2日、故郷の秋田(横手市)に戻って「週刊たいまつ」を立ち上げた。その姿勢は何者にも縛られず、決してぶれることはなかった。
はじめにおわりがある。抵抗するなら最初に抵抗せよ。歓喜するなら最後に歓喜せよ。途中で泣くな。途中で笑うな。
自らに言い聞かせる意味もあったのだろう。「たいまつ」には必ず、こうした言葉が掲載された。
「自分の身を燃やして、この時世に自分たちの朝を産むのだ」という思いで創刊した「たいまつ」は1978年(昭和53)1月まで30年間発行し、780号で休刊した。むのさんの胸には「まだ終わっていない」という復刊への思いが渦巻いていたのだと思う。しかし「たいまつ」がよみがえることはなかった。
「日々の新聞」が500号を迎えた。とはいえ、試行錯誤は続く。悩み、惑ったときには「地域で起こっていることに目を凝らし、その出来事が時代的にどんな意義を持ち、日本や世界の問題とどうつながっているのかを、つねに考える」という、むのさんの教えに戻り、「大きい小さいは関係ない。大事なのは道を切り拓く気概とジャーナリスト魂なのだ」という声を聞く。
大上段に振りかぶらず、ていねいに小さな声を拾って読み手に届ける。慌てず騒がず流されずにじっくりと…。でも怒りは決して捨てない。そんな日々だ。
(安竜 昌弘)
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