514号 53年前の記事(2024.7.31)

画 黒田征太郎

 

   記者はその現場で何を伝えるのか深く考えたい

 53年前の記事

 第106回全国高校野球選手権福島大会の準々決勝は7月24日に行われ、磐城が東日本国際大昌平に2―1で競り勝ち、いわき湯本は第1シードの聖光学院に小技で食い下がったが6―8と敗れた。この時点で勝ち残っているのは聖光学院、磐城、学法石川、相馬。決勝は28日だから、新聞が届くころには甲子園出場校が決まっている。
 それにしても、試合を伝える全国紙の県版が素っ気ない。特に主催者である朝日新聞はおしなべて敗者に光を当てるだけで、なんとも機械的。記事を読んでも木で鼻をくくったようなものばかりで、現場の熱気が伝わってこない。その味気なさが歯がゆくて悲しい。たかが高校野球だけれども、されど高校野球なのだ。

 手元に1971年(昭和46)7月28日付の朝日新聞がある。福島県版には代表決定戦(準決勝)2試合の詳報が載っている。試合は7月27日に福島市の県営信夫丘球場で行われ、磐城が湯本を2―0、勿来工も学法石川を2―0で下して宮城県勢との東北大会出場を決めた。そして磐城が東北高校、古川高校を下して全国大会に出場し、甲子園でもあれよあれよと勝ち進んで準優勝という快挙を成し遂げる。
 暑い日だった。53年前の福島県代表が決まったその日、満員の信夫丘球場にいて磐城―湯本戦を見ていた。一つひとつのシーンが記憶のかけらとして体の一部になり、この季節になるといまもその景色が鮮やかによみがえってくる。そして朝日新聞はリード文でこう伝えた。

 3塁に若松ががんばっている。「もう1人。せめて坂本まで…」そんな願いに湯本応援席は総立ち。いてもたってもいられない表情で磐城・須永監督がベンチから1、2歩出て野手に指示する。頂点に向かってぐいぐい盛上がってゆくスタンドの熱気。マウンドの田村投手が右手で汗をぬぐった。投げた。ミットの快い音がひびく。審判の右手があがった。田村が白い歯をみせて、バンザイのようなしぐさをみせた――(中略)伝統の勝負強さを十二分に発揮した磐城、リードされながらも必死に追った湯本。ピリッとした好試合だった。

 「坂本」とは湯本の4番打者で、2試合連続で満塁本塁打を放っていた。しかし坂本までは回らず試合は終わった。3年間の思いが駆け巡ったのだろうか。試合後のあいさつをするために3塁からホームベースに戻ってくる若松の目に光るものが見えた。でも、だれ1人号泣するものはいなかった。審判が「ゲームセット」を告げても、握手さえしようとしなかった。そんな時代だった。
 現場の記者が伝えるべきものとは何か…。深く考えたい。

 

 

                                                                                                                                                                                                       (安竜 昌弘)

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