516号 その死生観(2024.8.31)

画 黒田征太郎

 

    これまでずっと、どんな生へ向かって、

    どんなふうにいきるかという選択をしてきた。

    僕は、風のようにいなくなるといいな。
                    (池内 紀)

 その死生観

じやあと
手をさはやかに挙げ
振り向かず
(黙然)

 ドイツ文学者の池内紀さんが、78歳で亡くなって5年になる。8月30日が命日だった。冒頭の句は池内さんの作品で、「黙然」は俳号。種村季弘さんなどと酔眼朦朧湯煙句会に参加していた。
 池内さんの死因は虚血性心不全ということだった。それを聞いて「おそらく突然死だったのだろう」と思った。知人が亡くなったとき「朝起きてこないので見に行ったら冷たくなっていた」と家の人の話が話していて、その死因が池内さんと同じだった。その後、池内さんの最期について書かれている文章を見つけた。
 それによると、池内さんは血圧が高い以外はこれといった持病もなかったが、晩年は徐々に体が衰え、階段の上り下りも大変だった。それでも新聞や雑誌のコラムを10本以上持ち、きちんとこなしていた。その入稿を済ませたあと体調に変化があり、「救急車を呼びましょうか」という奥さんの言葉を制して床に就き、帰らぬ人になったという。
 その著書『すごいトシヨBOOK――トシをとると楽しみがふえる』 の中で死について書いている。
 「死を選ぶということも、もう、そろそろできるのではないでしょうか。自分で自分の人生はここで、もう、けりをつけるという、そういう終え方があってもいいんじゃないかと思います。これまでずっと、どんな生へ向かって、どんなふうにいきるかという選択をしてきた。(中略)僕は、風のようにいなくなるといいな」
 それを裏づけるように、自らの死後について家族に「葬式は身内だけ。やらなくてもいい。お別れ会などといったものは一切ご無用。弔問もお断りし、すべてを終えてから公表するように」と伝えていた。
 遺族はそれを守り、池内さんが亡くなった8月30日から葬儀が行われた9月3日までその死を伏せ、9月4日に公表した。戒名はなく俗名のままで、子息の恵さんによると「山伏が生きて仏になるような最期」だったという。
 生前にお目にかかったことはなかったが、著書を通してその生き方や思いと接して来た人間としては、その死生観を知り、目を見張る思いだった。年末には71歳を迎えることもあり、おそらく本の読み方も違って来るのだと思う。
 池内さんは『戦争よりも本がいい』で、いわき市遠野町生まれの歌人、田部君子の歌集を紹介している。
 「生れきて18年のわれのこの淸きほこりを高くかかぐる」
 昭和19年に27歳で逝った君子の歌。池内さんの母の若き日と重なったのだという。  

                                        (安竜 昌弘)

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